日曜日のみことば
12月15日 待降節第3主日
第一朗読 ゼファニヤ書 3:14-17
娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。
主はお前に対する裁きを退け お前の敵を追い払われた。イスラエルの王なる主はお前の中におられる。
お前はもはや、災いを恐れることはない。その日、人々はエルサレムに向かって言う。
「シオンよ、恐れるな 力なく手を垂れるな。お前の主なる神はお前のただ中におられ 勇士であって勝利を与えられる。
主はお前のゆえに喜び楽しみ 愛によってお前を新たにし お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」
第二朗読 フィリピの信徒への手紙 4:4-7
(皆さん、)主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
福音朗読 ルカによる福音書 3:10-18
(そのとき、群衆はヨハネに、)「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。
民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。
祈りのヒント |
洗礼者ヨハネはイスラエルの民の心を整えるために働きました。救い主の到来を準備することが洗礼者ヨハネの役割でした。洗礼者ヨハネは自分の役割をじゅうぶんにわきまえていました。それで、人びとからの質問に対しても謙虚に自分の立場を申し述べました。しかも「私よりも優れた方が来られる」という言葉を述べることで、自分の後から来る者こそが本番の活躍をすることを人びとに対して、はっきりと伝えました。
私たちも洗礼者ヨハネのように救い主の到来を準備する役割を謙虚に果たしたいものです。しかも、私たちは自分を歴史の主役のように思い込んで傲慢になるのではなく、かといってすべてに絶望して何もしないまま無気力になって漫然と日々を過ごすのでもなく、洗礼者ヨハネのように活き活きと救い主を迎える準備をしたいものです。 第一朗読において明らかにされているように、神は常に私たちを「新たにし」喜びの日々を約束してくださいます。そして、第二朗読において示されているように、私たちは神とのつながりを常に意識することで喜びと感謝と祈りを捧げる毎日を送ることが必要になります。あらゆる人が新たな人生を歩めるように、神は遠大なる計画を実行に移そうとしています。神は大切な独り子イエス・キリストを救い主として派遣することで、あらゆる人間のゆくすえを支えて刷新させようと望んでいます。 待降節は、新しく生きることを決意するひとときです。そして、何よりも神の遠大なる計画に気づくときでもあります。そのようなポイントを本日の待降節第三主日が洗礼者ヨハネの姿を描くことで私たちにも思い出させてくれます。 |
(日曜日のみことば 2024-12-15) |