12月16日 待降節第3主日

第一朗読  ゼファニヤ書 3:14-17
娘シオンよ、喜び叫べ。イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。主はお前に対する裁きを退け お前の敵を追い払われた。イスラエルの王なる主はお前の中におられる。お前はもはや、災いを恐れることはない。その日、人々はエルサレムに向かって言う。「シオンよ、恐れるな 力なく手を垂れるな。お前の主なる神はお前のただ中におられ 勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに喜び楽しみ 愛によってお前を新たにし お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」

第二朗読  フィリピの信徒への手紙 4:4-7
(皆さん、)主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。

福音朗読  ルカによる福音書 3:10-18
(そのとき、群衆はヨハネに、)「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。

祈りのヒント
すでに、救いが実現している。――ゼファニアの預言のなかで強調されていることです。神の実力によって、あらゆる困難や抑圧が、もはや解決しているという、よろこびのメッセージが述べられています。

このようなメッセージは、実に、イスラエル民族の待ち望んでいたことを神がかなえてくださるという真実を思い出させます。

主において、よろこぶ。――パウロの書簡のなかに書き残された最も美しいメッセージのひとつです。人間の自分勝手な快楽ではなく、むしろ神の恵みにつつまれて安らかに憩う状態での「よろこび」が強調されています。

主イエス・キリストが私たちに示してくださった神のいつくしみにつつまれてよろこぶことが、人間らしいほんとうのよろこびなのかもしれません。

分をわきまえる。――洗礼者ヨハネ自身の生き方は、まさに「分をわきまえる」ことでした。洗礼者ヨハネは、それぞれの立場の人びとから、さまざまな質問を浴びせられています。それらの問いかけに対して、洗礼者ヨハネは無理のない分かち合いを提唱しています。決して大それたことではなく、むしろ毎日の生活のなかで身近に行うことのできるふるまいを大切にすることが呼びかけられています。

民衆は、洗礼者ヨハネの生き方を眺めて、「救い主が来た」という感触を得て、よろこびつつ騒ぎ立てました。しかし、洗礼者ヨハネは、「自分の役割をわきまえていた」のです。自分を誇張して、威張り散らしがちな今の世の中の人びととはまったく異なった謙虚な生き方が洗礼者ヨハネの控えめな魅力です。

今日の三つの朗読は、実に、イエス・キリストの特徴を見事に言い表しています。今回は、イエス御自身は直接に登場してはいませんが、その特徴がうきぼりにされていることは興味深いものです。イエスの特徴とは、今日の三つの朗読と連動しています。――①確実に私たちを救ってくださる、②まことのよろこびに迎え入れてくださる、③謙虚に仕える者として私たちを支え励ましてくださる。

それにしても、私たち自身の生き方とイエスの生き方とを比べてみると、まったく逆の現実が見えてきます。私たちの場合は、①相手を確実には救えない、②にせのよろこびのなかで自分勝手に生きている、③傲慢にも相手を従えて利用しようと、もくろんでいる。反省させられます。同時に、主イエスに助けを求めて回心していきたいとも思います。

(日曜日のみことば 2018-12-16)

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