12月2日 待降節第1月曜日

第一朗読  イザヤ書 2:1-5
アモツの子イザヤが、ユダとエルサレムについて幻に見たこと。
終わりの日に 主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち どの峰よりも高くそびえる。
国々はこぞって大河のようにそこに向かい 多くの民が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。
主の教えはシオンから 御言葉はエルサレムから出る。主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし 槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず もはや戦うことを学ばない。 ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。

福音朗読  マタイによる福音書 8:5-11
(そのとき、)、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。」

祈りのヒント
我々人間は様々な事情で、傷を負ったり、苦しみを抱えたりしている。そのため、我々は癒しや慰め、解放を求める存在である。今日の福音箇所は「癒し」と「御言葉」との深い関係について語る。イエス・キリストは神の御言葉である。その口から出る言葉は、癒しの源泉である。御言葉は我々に癒しや慰め、解放をもたらす。
(毎日のみことば 2024-12-02)

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