12月22日 待降節第4主日

第一朗読  ミカ書 5:1-4a
(主は言われる)エフラタのベツレヘムよ お前はユダの氏族の中でいと小さき者。
お前の中から、わたしのために イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。
まことに、主は彼らを捨ておかれる 産婦が子を産むときまで。そのとき、彼の兄弟の残りの者は イスラエルの子らのもとに帰って来る。
彼は立って、群れを養う 主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。
今や、彼は大いなる者となり その力が地の果てに及ぶからだ。彼こそ、まさしく平和である。

第二朗読  ヘブライ人への手紙 10:5-10
(皆さん、)キリストは世に来られたときに、次のように言われ(ました。)
「あなたは、いけにえや献げ物を望まず、むしろ、わたしのために 体を備えてくださいました。あなたは、焼き尽くす献げ物や 罪を贖うためのいけにえを好まれませんでした。
そこで、わたしは言いました。『御覧ください。わたしは来ました。聖書の巻物にわたしについて書いてあるとおり、神よ、御心を行うために。』」
ここで、まず、「あなたはいけにえ、献げ物、焼き尽くす献げ物、罪を贖うためのいけにえ、つまり律法に従って献げられるものを望みもせず、好まれもしなかった」と言われ、次いで、「御覧ください。わたしは来ました。御心を行うために」と言われています。第二のものを立てるために、最初のものを廃止されるのです。この御心に基づいて、ただ一度イエス・キリストの体が献げられたことにより、わたしたちは聖なる者とされたのです。

福音朗読  ルカによる福音書 1:39-45
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

祈りのヒント
マリアのエリサベト訪問はマリアの召命物語の続きであり、クリスマスの喜びのニュースに先立っている。神の恵みはマリアを動かす。マリアはこの招きに答える。親類のエリサベトに神がなさったしるしを見るために。 みことばを聞いた弟子の“宣教のモデル”としてその喜びのニュースを他の人へ持っていく。

マリアがザカリアの家に入り、シャロームの挨拶を交わす。 それは、日常生活を円滑にする儀礼にとどまらず、相手への祝福となる。 二人の女性、つまり二人の母親とその胎児たちの出会いを記し、しかも、お互いに最も深い感情を表わすこのような場面は、聖書の他の物語には、ほとんど見られない。 不妊と呼ばれたエリサベトの悲しみや屈辱の体験は救いの喜びに変えられる。エリサベトはマリアとの出会いによって聖霊で満たされる。

エリサベトは聖霊に導かれ、 マリアを祝福で迎え、喜びの叫びで会話をはじめる。マリアを家で迎えるエリサベトが先に話し、マリアとその胎児は神に祝福されていることを述べる。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。」(彼女の祝福のことばは旧約聖書に由来する。エディト記13・18: 申命記28・4:サムエル下6・9)

相手のいちばんいいところを祝福するエリサベト。胎児たちもお互いの存在を喜びのうちに歓迎する。祝福の理由は主が約束してくださったことは必ず実現すると信じたことにある。

マリアはひとことも話さないで、まず、エリサベトのことばを心に納める“弟子のモデル”である。ルカは私たちに、奉仕をする前に聞くことの大切さをいつも強調する。その後で (ルカ1・46-56) マリアは神を賛美し、自分における神の偉大な業を感謝する。
マリアの心に声を合わせて祈りたい。今日の集会祈願で黙想したい。「いつくしみ深く、小さなものに目をとめてくださる神よ、あなたはひとり子を遣わし、救いに飢え乾く世界を祝福で満たしてくださいました。主の降誕を迎える私たちが、その生涯にも結ばれますように。」

(日曜日のみことば 2024-12-22)

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