日曜日のみことば
12月25日 主の降誕(夜半ミサ)
第一朗読 イザヤの預言 9:1-3,5-6
闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになり、人々は御前に喜び祝った。
刈り入れの時を祝うように、戦利品を分け合って楽しむように。
彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭をあなたはミディアンの日のように、折ってくださった。
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神永遠の父、平和の君」と唱えられる。
ダビデの王座とその王国に権威は増し、平和は絶えることがない。
王国は正義と恵みの業によって、今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。
第二朗読 テトスへの手紙 2:11-14
(愛する者よ、)すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。キリストがわたしたちのために御自身を献げられたのは、わたしたちをあらゆる不法から贖い出し、良い行いに熱心な民を御自分のものとして清めるためだったのです。
福音朗読 ルカによる福音 2:1-14
そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」
祈りのヒント |
「彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、 布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」そして、「天使は(羊飼いたちに)言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる……あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』」 赤ん坊が突然、 大人たちのグループの真ん中に入って来ると、電車の中でも、 聖書のグループや家の中でも、雰囲気が変わる。 赤ちゃんは何もしていないし、 何もできないけれど大人の心を平和と安らぎへ変容させることが多い。 今日、 全世界でこの馬小屋の赤ん坊イエスが数えきれない人々の心を動かしている。オリエンスのある通信講座の言葉を 紹介したい。 「愛されること 愛されることを素直に受け入れることが喜びだ、ということ:それが人生最初のレッス ンです。私たちの神は、ご自分の愛を示すために、この道を選んだ。イエスご自身が母マリアとヨセフから馬小屋でこの人生の最初のレッスンを学んだ!」 そして、ベツレヘムの羊飼いたちがこの喜びのニュースを一番先に受けた。 変な言い方になるが、聖書に出てくる神の愛は平等の愛ではないようだ。神の愛はいつも最もシンプルな人たちに傾いていることを静かに黙想したい。イエスの誕生の意味は天使によって、 馬小屋にではなく、離れたところ、夜の暗闇の中で、ベツレヘムの田舎で野宿している羊飼いたちに与えられた。 羊飼いたちは当時のユダヤ教で評判の良くない人たちで、宗教と社会の境界線に生きていた人たちである。 |
(日曜日のみことば 2022-12-25) |