12月6日 待降節第2主日

第一朗読  イザヤ書 40:1-5、9-11
慰めよ、わたしの民を慰めよと あなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ 彼女に呼びかけよ 苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを主の御手から受けた、と。呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え わたしたちの神のために、荒れ地に広い道を通せ。谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平らに、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る。主の口が(そう)宣言される。
高い山に登れ 良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ 良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるなユダの町々に告げよ。
見よ、あなたたちの神 見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ 御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い 主の働きの実りは御前を進む。主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。

第二朗読  ペトロの手紙 二 3:8-14
愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。このように、すべてのものは滅び去るのですから、あなたがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。神の日の来るのを待ち望み、また、それが来るのを早めるようにすべきです。その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。しかしわたしたちは、義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるのです。だから、愛する人たち、このことを待ち望みながら、きずや汚れが何一つなく、平和に過ごしていると神に認めていただけるように励みなさい。

福音朗読  マルコによる福音書 1:1-8
神の子イエス・キリストの福音の初め。預言者イザヤの書にこう書いてある。
「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」
そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

祈りのヒント
 私たちにとって、【罪】とはどのようなものなのでしょうか。教会では、待降節と四旬節に「ゆるしの秘跡」に与ることを勧めていますし、教会では、黙想会や「共同回心式」を行います。私たちは、よほどのことがない限り法律に背くような【罪】は犯しませんが、私の心の中をおん父からの目で眺められたときどこかに後ろめたい部分かあるのではないでしょうか。
みことばは、おん父から遣わされた「洗礼者ヨハネ」への使命として、「……主の道を整え、その道をまっすぐにせよ」と伝え、イエスが来られる前に人々が回心するように呼びかけている姿を『イザヤ書』の引用を記しながら表されています。
私たちは、残念ながら【原罪】によってどうしても、アダムとエバがイチジクの葉で体を隠したように【罪】を意識する部分があります。洗礼者ヨハネは、自分を覆わなければおん父を見ることができない【私】に、「まっすぐな心」になって主であるイエスを迎えるようことができるように【回心】を呼びかけているのではないでしょうか。
洗礼者ヨハネの声を聞いて、ユダヤの全地方、またエルサレムに住むすべての人がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で洗礼を受けます。彼らは、洗礼者の声が琴線に触れ、何かしらの自責の念にかられ、苦しみから解放されたい、「今のままの生活では救われることができない」と真剣に自分の心の中を振り返りながら思ったのでしょう。
洗礼者ヨハネの声は、私たちの耳にどのように響いてきているでしょうか。私たちは、その声にどのように応えようとしているでしょうか。心を静かにしてその【声】に耳を傾け、おん父へのまっすぐな道を歩むことができたらいいですね。
(日曜日のみことば 2020-12-06)

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