12月8日 待降節第2主日

第一朗読  イザヤ書 11:1-10
(その日、)エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊。彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。目に見えるところによって裁きを行わず、耳にするところによって弁護することはない。弱い人のために正当な裁きを行い、この地の貧しい人を公平に弁護する。その口の鞭をもって地を打ち、唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。正義をその腰の帯とし、真実をその身に帯びる。
狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛もひとしく干し草を食らう。乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる。わたしの聖なる山においては、何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。その日が来ればエッサイの根は、すべての民の旗印として立てられ、国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く。

第二朗読  ローマの信徒への手紙 15:4-9
(皆さん、)かつて書かれた事柄は、すべてわたしたちを教え導くためのものです。それでわたしたちは、聖書から忍耐と慰めを学んで希望を持ち続けることができるのです。忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声をそろえて、わたしたちの主イエス・キリストの神であり、父である方をたたえさせてくださいますように。
だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、異邦人が神をその憐れみのゆえにたたえるようになるためです。「そのため、わたしは異邦人の中であなたをたたえ、あなたの名をほめ歌おう」と書いてあるとおりです。

福音朗読  マタイによる福音書 3:1-12
そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」
ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」

祈りのヒント
今日の福音で、洗礼者ヨハネの呼びかけが私たちに示されています。
主の訪れ、“クリスマス”を待っている私たち一人一人への呼びかけです。
「悔い改めよ。天の国は近づいた。」
私たちの生活、心と行いを、神さまの方に向けなおすように・・・との呼びかけです。
神さまの喜びに満ち満ちた心が、私たちのすぐ近くに、ほら、もう来ていますよ・・・との、呼びかけです。
そして、ヨハネは、この呼びかけが、聞くだけに終わらないで行いとして実を結ぶようにと強く願っています。
クリスマスの喜びは、そこにあるのだと・・・言っているかのようです。ヨハネの言葉には、“火”という言葉が何度もでてきています。
「わたしの後から来る方は・・・聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」
火は、あたたかい。明るい。冷たさを和らげ、暗闇を照らしてくれます。ヨハネの呼びかけにあるように、私たちの心を神さまに向けて、天の国が近づくように、日々生きていくために私たちの心に、暖かい、明るい火がともされる必要があります。イエスさまが、又、今年も、もうすぐ、私たちの内に来てくださいます。イエスさまの愛の火で、私たちの心をきれいにし、聖霊のおん助けによって、主の愛の火を、心に燃やし続けて頂けますように。それは、丁度、農業で働く人が米の収穫の後に作業場をかたずけ、コメのもみ殻を焼いて燃やすのに、似ていると、ヨハネは言います。もみ殻を焼く時、火は静かに燃えますが、暖かく、燃える火は長続きするのです。私たち一人一人の心が、暖かく、明るくなれますように。祈ります。
“主よ、どうぞ、来てください。”
(日曜日のみことば 2019-12-08)

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