2月11日 年間第6主日

第一朗読  創世記 3:16-19
神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。
お前は、苦しんで子を産む。
お前は男を求め
彼はお前を支配する。」
神はアダムに向かって言われた。
「お前は女の声に従い取って食べるなと命じた木から食べた。
お前のゆえに、土は呪われるものとなった。
お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。
お前に対して
土は茨とあざみを生えいでさせる
野の草を食べようとするお前に。
お前は顔に汗を流してパンを得る
土に返るときまで。
お前がそこから取られた土に。
塵にすぎないお前は塵に返る。」

第二朗読  一  コリントの信徒への手紙  10:31-11:1
(皆さん、)あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい。わたしも、人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばそうとしているのですから。わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。

福音朗読  マルコによる福音書 1:40-45
(そのとき、)重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。

祈りのヒント
今日の福音で、重い皮膚病を患っている人とイエスの出会いが描かれています。この病気を患った人のイエスの前での姿に、まず心動かされます。

イエスの前で自分の願いを差し出しますが“自分の願いを聞いてください”というより「御心ならば」「わたしを清くすることがおできになります」と言って神さまのみこころ、神さまの御業に、自分を委ね切ります。この重い皮膚病を患った人の祈りの姿に私たちが神様のみ前でどのようにあればよいかを学ぶことが出来るように感じます。重い皮膚病という大きな病気を抱え、身体にも心にもたくさんの痛手を抱えていたでしょう。病気からくる弱さと貧しさを抱いて、イエスの前でこの人は、ひざまずきます。そして、祈るのです。「御心ならば・・・」と言って。その祈りは私の病を治し弱い者でなく強い者にしてください、貧しい者でなく富んだ者にして下さい・・・と叫ぶ人の声ではなく私の弱さと貧しさを通して神さま、あなたの御業が行われますように・・・と願い委ねる人の声なのです。

この人の姿を見て、イエスは深く憐れみ、手を差し伸べられます。「よろしい、清くなれ」と。ここで、イエスの言う「清い」とはこの人の内で完全に神様の御業が成し遂げられたことを、意味するように感じます。清くなった人は、イエスに口止めされていたにも拘わらず大いに、この出来事を人々に言い広めます。というか、言わずにおれないほどこの人の心は喜びであふれ満たされたのでしょう。自分でもよくわからないけど、心が嬉しくて黙っていられない・・・神様の御業に包まれるとそのようなことがあるのです。

イエスは、それで公然と町に入ることが出来なくなり、町の外の人のいないところにおられた・・・と、マルコは語っていますが喜び踊っているこの人の姿を、後ろでそっと見ていたに違いありません。そして、その人の変えられた姿を見て微笑んでいたでしょう。

(日曜日のみことば 2018-02-11)

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