2月13日 年間第6火曜日

第一朗読  ヤコブの手紙 1:12-18
試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。 わたしの愛する兄弟たち、思い違いをしてはいけません。良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。

福音朗読  マルコによる福音書 8:14-21
(そのとき、)弟子たちはパンを持って来るのを忘れ、舟の中には一つのパンしか持ち合わせていなかった。そのとき、イエスは、「ファリサイ派の人々のパン種とヘロデのパン種によく気をつけなさい」と戒められた。弟子たちは、これは自分たちがパンを持っていないからなのだ、と論じ合っていた。イエスはそれに気づいて言われた。「なぜ、パンを持っていないことで議論するのか。まだ、分からないのか。悟らないのか。心がかたくなになっているのか。目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか。わたしが五千人に五つのパンを裂いたとき、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」弟子たちは、「十二です」と言った。「七つのパンを四千人に裂いたときには、集めたパンの屑でいっぱいになった籠は、幾つあったか。」「七つです」と言うと、イエスは、「まだ悟らないのか」と言われた。

 

祈りのヒント
わたしたちには、様々な物心両面の欠乏や欠点があるが、欠けだけに目がいくとき、神から与えられている豊かさには、目が向かない。
舟の中には、イエスがいる。5つのパンで5千人の飢えを満たしたイエスがいる。
パンが足りないことで、思い煩うことはないはずだが、恵みを忘れて思い悩む。
イエスは、わたしたちの欠けを満たし、わたしたちを生かす、たった一つの頼れるパンだ!
イエスのパン(命)によって生かされているわたしたちであることを、どんな時も、思い起こすことができますように!
人間にばかり目がいく、ファリサイ派とヘロデのパン種、最初は小さくても、大きく膨らんでいく。
本当に頼るべきものに、頼ることができなくなってしまわないように!わたしたちも心から自戒しよう。

主よ! あなたに信頼する心を強めて下さい!

(毎日のみことば 2018-02-13)

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