2月15日 年間第5金曜日

第一朗読  創世記 3:1-8
主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女(は)、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れる(た。)

福音朗読  マルコによる福音書 7:31-37
(そのとき、)イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」

祈りのヒント
神の愛を受け止める愛の心が欠如するとき、わたしたちは、耳が聞こえても、愛の言葉をキャッチできず、舌が回っても、真実を語ることができない。
「エッファタ」  わたしたち一人一人を連れ出し、一人一人に向かって命じられる神の言葉!
イエスが触れてくださる愛のなかで、神との関係を回復し、神との交わりに開かれる。わたしたちは、「この方のなさったことのすばらしさ」を、機能の回復やご利益に心を向け、そこで満足してしまうが、イエスは、神の愛が届くように、(見えない)力を注ぎながら、「この愛を生きるものになれ!」と、言っているのではないだろうか?
そこに、わたしたちの耳と心を開いて、感謝の言葉を取り戻していきたい!イエスがわたしたちの思いに立って、聴き取ってくれるから、わたしたちも隣人に両耳を開いて、相手の思いを聴き取っていこう! イエスの愛に生きるコミュニケーションを育くんでいけるように!
(毎日のみことば 2019-02-15)

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