2月15日 灰の式後の木曜日

第一朗読  申命記 30:15-20
(モーセは民に言った。) 見よ、わたしは今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。わたしが今日命じるとおり、あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟と法を守るならば、あなたは命を得、かつ増える。あなたの神、主は、あなたが入って行って得る土地で、あなたを祝福される。もしあなたが心変わりして聞き従わず、惑わされて他の神々にひれ伏し仕えるならば、わたしは今日、あなたたちに宣言する。あなたたちは必ず滅びる。ヨルダン川を渡り、入って行って得る土地で、長く生きることはない。わたしは今日、天と地をあなたたちに対する証人として呼び出し、生と死、祝福と呪いをあなたの前に置く。あなたは命を選び、あなたもあなたの子孫も命を得るようにし、あなたの神、主を愛し、御声を聞き、主につき従いなさい。それが、まさしくあなたの命であり、あなたは長く生きて、主があなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた土地に住むことができる。

福音朗読  ルカによる福音書 9:22-25
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている。」それから、イエスは皆に言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか。

祈りのヒント
イエスが歩んだ神のみ心の道に従っていこうとしても、自分の思いやあれこれの欲求を捨て去ることは難しく、「敵を愛せ」「人を裁くな」…愛のみ言葉のハードルは高い。
苦しみがなくなるわけでもなく、自分の願望がかなうわけでもなく、イエスに従うことに、意味があるのか?エゴの壁にぶつかり、投げ出しそうになる。
そんなわたしを、エゴのままで受け入れ、赦し、力を与える、イエスの十字架の恵み!のなかで、わたしは今日も生かされているではないか!
自分の生を自分のものとして用いるのではなく、他者のために用いる生をイエスから学びなおすとき、イエスの十字架に連帯している、自分の十字架がみえてくる。何ができたか、何を成したかより、(できても、できなくても)従っていこうとする心が大切なのだ!

「自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」

エゴに縛られている自分からの解放の歩みだ!ありのままのわたしで、命を得る道を、イエスに従っていきたい!

(毎日のみことば 2018-02-15)

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