毎日のみことば
2月27日 年間第7木曜日
第一朗読 シラ書(集会の書) 5:1-8
自分の財産を頼みとするな。「わたしは、何でも思いのままだ」と言うな。本能と自分の力に引きずられ、欲望のままに生きてはいけない。
「だれもわたしを支配できない」と言うな。主は必ずお前に復讐なさるだろう。「罪を犯したが、何も起こらなかった」と言うな。主は忍耐しておられるのだ。
どうせ罪は贖われるのだからといい気になって、罪に罪を重ねてはならない。「主の憐れみは豊かだから、数多くのわたしの罪は赦される」と言うな。
主は、憐れみだけでなく、怒りをも持ち、その激しい怒りは罪人たちの上に下る。
速やかに主のもとに立ち帰れ。一日、もう一日と、引き延ばしてはいけない。主の怒りが、突然やって来て、裁きの時に、お前を滅ぼしてしまうからだ。
人を惑わす財産を頼みとするな。いざというとき、何の役にも立たない。
福音朗読 マルコによる福音書 9:41-50
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「はっきり言っておく。キリストの弟子だという理由で、あなたがたに一杯の水を飲ませてくれる者は、必ずその報いを受ける。」
「わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、海に投げ込まれてしまう方がはるかによい。もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。もし片方の足があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両足がそろったままで地獄に投げ込まれるよりは、片足になっても命にあずかる方がよい。もし片方の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。人は皆、火で塩味を付けられる。塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」
祈りのヒント |
「塩」は私たちにとって身近なものである。日本語には「塩加減」「塩梅」などの言葉もある。また、葬儀の塩は「お清めの塩」になる。これは、故人との別れによって生じた「穢れ」を払う目的を持っている。イエスは「自分自身の内に塩を持ちなさい」と言われた。私たちの「塩」に「塩気」はあるのだろうか。イエスと共にわたしの内の「塩」について思い巡らしてみよう。 |
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(毎日のみことば 2025-02-27) |