2月4日 年間第5主日

第一朗読  ヨブ記 7:1-4、6-7
(ヨブは言った。)この地上に生きる人間は兵役にあるようなもの。
傭兵のように日々を送らなければならない。
奴隷のように日の暮れるのを待ち焦がれ
傭兵のように報酬を待ち望む。
そうだわたしの嗣業はむなしく過ぎる月日。
労苦の夜々が定められた報酬。
横たわればいつ起き上がれるのかと思い
夜の長さに倦み
いらだって夜明けを待つ。
わたしの一生は機の梭よりも速く
望みもないままに過ぎ去る。
忘れないでください
わたしの命は風にすぎないことを。
わたしの目は二度と幸いを見ないでしょう。

第二朗読  一  コリントの信徒への手紙  9:16-19、22-23
(皆さん、)わたしが福音を告げ知らせても、それはわたしの誇りにはなりません。そうせずにはいられないことだからです。福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです。自分からそうしているなら、報酬を得るでしょう。しかし、強いられてするなら、それは、ゆだねられている務めなのです。では、わたしの報酬とは何でしょうか。それは、福音を告げ知らせるときにそれを無報酬で伝え、福音を伝えるわたしが当然持っている権利を用いないということです。

わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。弱い人に対しては、弱い人のようになりました。弱い人を得るためです。すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです。

福音朗読  マルコによる福音書 1:29-39
(そのとき、イエスは)会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。ヤコブとヨハネも一緒であった。シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、人々は早速、彼女のことをイエスに話した。イエスがそばに行き、手を取って起こされると、熱は去り、彼女は一同をもてなした。夕方になって日が沈むと、人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、イエスのもとに連れて来た。町中の人が、戸口に集まった。イエスは、いろいろな病気にかかっている大勢の人たちをいやし、また、多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。

朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。イエスは言われた。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」そして、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。

祈りのヒント
年の初めに、今年一年間の「抱負」を立てた方がおられるかもしれません。例えば、「聖書を通読する」「体重を落とす」「たくさんの出会いを作る」などなど……。そして、その抱負を実現に向けて具台的な「目標」を立て実行されていることでしょう。
今日のみことばでイエスは、まず、ペトロの姑の病気を癒します。癒された姑は、一同をもてなします。彼女は、イエスのことを頭では知ってはいたでしょうが、病気を癒されたことで「体験」としてイエスを知り、その喜びを【一同をもてなす】行為で表します。彼女にとって、この癒しは、生涯忘れられないものとなったのです。
さらに、イエスは、夕方になりご自分のところに集まって来た病人や悪霊に憑かれた人々を癒されます。イエスのもとに連れられた人たちは、すべて癒されペトロの姑のように喜び生涯忘れられないものとなります。
翌朝早く、イエスが祈っておられたところにペトロと仲間たちが探しにいき、「みんながあなたを捜しております」と伝えます。
イエスは、彼らの言葉を聞き、「一緒に近くほかの町や村に行こう。わたしはそこでも宣べ伝えなければならない。わたしはそのために出て来たのである。」と答えられます。
イエスは、ここではっきりご自分がおん父から遣わされた使命、目標、抱負を示されました。イエスの使命は、カファルナウムという小さな町だけではなくガリラヤ中を巡り歩き、方々の彼らの会堂で宣べ伝え、悪霊を追い出されます。
パウロは、「……もし福音を宣べ伝えないなら、わたしにとって災いです。……わたしはすべてのことを福音のためにしています」と伝えます。パウロもイエスと出会って変えられました。彼の生涯の目標は、【福音を宣べ伝える】ことだったのです。
私たちは、この新しい2018年をどのような抱負を抱き、目標を立てたでしょうか。私たちは、洗礼の恵みを受けイエスに倣う者として何か素敵な【目標】に向かって歩むことができたらいいですね。
(日曜日の聖書 2018-02-04)

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