3月1日 四旬節第2主日

第一朗読  創世記 12:1-4a
(その日、)主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にしあなたを祝福し、あなたの名を高める祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福しあなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」アブラムは、主の言葉に従って旅立った。

第二朗読  テモテへの手紙 二 1:8b-10
(愛する者よ、)神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。

福音朗読  マタイによる福音 17:1-9
(そのとき、)イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。

祈りのヒント
子どものミサで時々歌われる聖歌の中で、『イエスさまがいちばん』という歌があります。この曲を聴いていると、何だか心が清められていく感じがいたします。この曲の歌詞の中に「だーってイエスさまは神さまだもの」という言葉が繰り返されます。私たちは、日常の忙しさや仕事に追われて頭ではわかってはいても、時々「イエスさまがいちばん」ということを忘れてしまって、自分の力、能力に頼ってしまいます。もっと、もっと、「神さまである、イエス」に頼ることを習慣にしてみたいものです。
きょうのみことばは、イエスが弟子たちにご自分の受難の予告をされた日から6日目に、弟子たちの前で「ご変容」される場面です。イエスの言葉を聞いた弟子たちは、自分たちが師として慕い、また、もしかしたらこの方が「メシアではないか」と思っている方が、「『長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて、殺される』(マタイ16:21)はずなどない」と思っていたのではないでしょうか。
イエスは、そのような思いに苦しんでいる弟子たちの中から、ペトロとヤコブそして、ヨハネだけを連れて山にお登りになられ変容されます。そこへ、モーセとエリアが現れ、話し始められます。それを見たペトロは、この素晴らしい光景をとどめておきたくて「仮小屋を三つ建てましょう」とイエスに伝えます。しかし、その時「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中からします。
みことばは、どんなにモーセやエリアのような偉大な預言者の出現があったとしても、「神の子である、イエスの言葉に耳を傾けなさい」と言っているのではないでしょうか。「木を見て森を見ず」ということわざがありますが、弟子たちはいつもイエスと生活をしていて、一番大切なお方が側におられるのを忘れ、モーセとエリアの出現の方に興奮をしてしまいます。
私たちは、日常の生活の中でもっとイエスを身近に感じ、イエスに信頼して歩むことができたらいいですね。
(日曜日のみことば 2026-03-01)

ページ上部へ戻る