3月14日 四旬節第2月曜日

第一朗読  ダニエル書 9:4b-10
主よ、畏るべき偉大な神よ、主を愛しその戒めに従う者には契約を守って慈しみを施される神よ、わたしたちは罪を犯し悪行を重ね、背き逆らって、あなたの戒めと裁きから離れ去りました。あなたの僕である預言者たちが、御名によってわたしたちの王、指導者、父祖、そして地の民のすべてに語ったのに、それに聞き従いませんでした。主よ、あなたは正しくいます。わたしたちユダの者、エルサレムの住民、すなわち、あなたに背いた罪のために全世界に散らされて、遠くにまた近くに住むイスラエルの民すべてが、今日のように恥を被っているのは当然なのです。主よ、恥を被るのはわたしたちであり、その王、指導者、父祖なのです。あなたに対して罪を犯したのですから。憐れみと赦しは主である神のもの。わたしたちは神に背きました。あなたの僕である預言者たちを通して与えられた、律法に従って歩むようにという主なる神の声に聞き従いませんでした。

福音朗読  ルカによる福音書 6:36-38
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた)「あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」

祈りのヒント
自分のはかりで、勝手に他人を判断して決めつけ、赦すどころか、平気で人を裁いている。そんなわたしをイエスは裁き返さず、神の憐れみのふところに置いてくださる。慈しみ深い神の恵みが「あふれるほどに」、わたしにも惜しみなく注がれている。無償の愛の赦しのなかで、自分も他人も共に(生かされて)生きている。偏狭なわたしの心が、感謝の心に変わる。
小さな器を精一杯開いて、赦しの愛を受け取っていこう。
「できなくてもよい。憐れみに生きる自分を選んで生きてみたい!」…と、はじめて心から望んだ。
(毎日のみことば 2022-03-14)

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