3月28日 四旬節第4土曜日

第一朗読  エレミヤ書 11:18-20
主が知らせてくださったのでわたしは知った。彼らが何をしているのか見せてくださった。わたしは、飼いならされた小羊が屠り場に引かれて行くように、何も知らなかった。彼らはわたしに対して悪だくみをしていた。「木をその実の盛りに滅ぼし生ける者の地から絶とう。彼の名が再び口にされることはない。」万軍の主よ人のはらわたと心を究め正義をもって裁かれる主よ。わたしに見させてくださいあなたが彼らに復讐されるのを。わたしは訴えをあなたに打ち明けお任せします。

福音朗読  ヨハネによる福音書 7:40-53
(そのとき、イエスの)この言葉を聞いて、群衆の中には、「この人は、本当にあの預言者だ」と言う者や、「この人はメシアだ」と言う者がいたが、このように言う者もいた。「メシアはガリラヤから出るだろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。」こうして、イエスのことで群衆の間に対立が生じた。その中にはイエスを捕らえようと思う者もいたが、手をかける者はなかった。
さて、祭司長たちやファリサイ派の人々は、下役たちが戻って来たとき、「どうして、あの男を連れて来なかったのか」と言った。下役たちは、「今まで、あの人のように話した人はいません」と答えた。すると、ファリサイ派の人々は言った。「お前たちまでも惑わされたのか。議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている。」彼らの中の一人で、以前イエスを訪ねたことのあるニコデモが言った。「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。」彼らは答えて言った。「あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。
人々はおのおの家へ帰って行った。

祈りのヒント
イエスの話を福音と聞く人もいれば、そんな人は呪われているという人もいました。
律法があまりに大切すぎて、律法のフィルターだけを通してイエスを見ていたのかもしれません。
私たちも自分の大切なものに囚われすぎる時、誰かを通して語られた神様の言葉をうまく聞けなくなってしまうかもしれません。
主よ、私の大切なものを、預かってください。そうすれば、私はそれから少し距離をおけます。
(毎日のみことば 2020-03-28)

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