3月8日 四旬節第2主日

第一朗読  創世記 12:1-4a
(その日、)主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷父の家を離れてわたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にしあなたを祝福し、あなたの名を高める祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福しあなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」アブラムは、主の言葉に従って旅立った。

第二朗読  テモテへの手紙 二 1:8b-10
(愛する者よ、)神の力に支えられて、福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。

福音朗読  マタイによる福音書 17:1-9
(そのとき、)イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。

祈りのヒント
今日の福音で、まず、イエスさまはペトロとヤコブ、その兄弟ヨハネだけを連れて高い山に登られます。ある時には、弟子たちを連れて、また、ある時には大勢の群衆がイエスさまの後に従って福音の物語が始まりますが、今日は、この3人だけを連れて高い山に行かれます。
イエスさまが、ペトロ・ヤコブ・ヨハネを連れて行った山というのは、きっと、私たち一人一人が、祈りの中で、日々の生活の中でイエスさまと一緒に歩きながら、私たちの御父である神様に出会う場所なのかもしれません。一人一人がイエスさまと歩く道は、異なっていて実に様々であり、どの道も貴い道なので、今日、イエスさまがこの3人だけを連れて山を登られたように、イエスさまにとって、私たち一人一人は、かけがえのない大事な人生の旅の同伴者なのでしょう。
イエスに連れられていったペトロ・ヤコブ・ヨハネが目にした、イエスさまのご変容。
太陽の様に輝くイエスさまの顔、光の様に白くなったイエスさまの服。そして光輝く雲が彼らを覆います。このような出来事のなかで、3人は、何が起こったのかこれは一体何なのかと当惑し恐れに包まれました。光に包まれているのに、頭で理解できない、わからないと思い、心が恐れに捉えられてしまうのです。そこで、イエスさまが近づいて、手に触れて、こう言われます。
「起きなさい。恐れることはない。」
「恐れるな。」このイエスの言葉を深く心に携えてこの3人はまた、イエスと一緒に歩き出します。天の御父の言葉に包まれた瞬間を、光輝き心暖められた体験をしっかり心に刻んで。イエスさまは何も言われませんが、よくご存じでした。この3人の旅路にとって、まことに必要なものは何であるかを。私たちも、自分に与えられた道を歩んでいきましょう。私たちの人生の道にある、苦しみや痛みの中をイエスさまが必ず一緒に歩んでいて下さるという信仰、信頼を携えて。私たちの小さな手を優しくとって導いて下さるイエスさまのみ手に、自分を託して。
私たちの御父の恵みである光の中を歩んでいくことができますように。
(日曜日のみことば 2020-03-08)

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