3月9日 四旬節第3土曜日

第一朗読  ホセア書 6:1-6
「さあ、我々は主のもとに帰ろう。 主は我々を引き裂かれたが、いやし 我々を打たれたが、傷を包んでくださる。
二日の後、主は我々を生かし 三日目に、立ち上がらせてくださる。 我々は御前に生きる。
我々は主を知ろう。 主を知ることを追い求めよう。
主は曙の光のように必ず現れ 降り注ぐ雨のように 大地を潤す春雨のように 我々を訪れてくださる。」
エフライムよわたしはお前をどうしたらよいのか。
ユダよ、お前をどうしたらよいのか。 お前たちの愛は朝の霧 すぐに消えうせる露のようだ。
それゆえ、わたしは彼らを預言者たちによって切り倒し わたしの口の言葉をもって滅ぼす。
わたしの行う裁きは光のように現れる。 わたしが喜ぶのは愛であっていけにえではなく
神を知ることであって焼き尽くす献げ物ではない。

福音朗読  ルカによる福音書 18:9-14
(そのとき、)自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、イエスは次のたとえを話された。「二人の人が祈るために神殿に上った。一人はファリサイ派の人で、もう一人は徴税人だった。ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

祈りのヒント
主よ、私たちは、つい他人と比べたがり、それに一喜一憂してしまいます。「わたしが喜ぶのは愛であり、神を知ること」とあなたが言われたように、比べ合うのではなく、互いに相手を受け入れ合うことで愛を育み、その互いの愛によって、神の愛をより深く知ることができる恵みをお与えください。
(毎日のみことば 2024-03-09)

 

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