4月28日 復活節第2主日 (神のいつくしみの主日)

第一朗読  使徒言行録 5:12-16
使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていたが、ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった。しかし、民衆は彼らを称賛していた。そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。人々は病人を大通りに運び出し、担架や床に寝かせた。ペトロが通りかかるとき、せめてその影だけでも病人のだれかにかかるようにした。また、エルサレム付近の町からも、群衆が病人や汚れた霊に悩まされている人々を連れて集まって来たが、一人残らずいやしてもらった。

第二朗読  ヨハネの黙示録 1:9-11a、12-13、17-19
わたし(ヨハネ)は、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっている(者)である。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。ある主の日のこと、わたしは“霊”に満たされていたが、後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。その声はこう言った。「あなたの見ていることを巻物に書いて、(アジア州にある)の七つの教会に送れ。」
わたしは、語りかける声の主を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見え、燭台の中央には、人の子のような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた。
わたしは、その方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった。すると、その方は右手をわたしの上に置いて言われた。「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。」

福音朗読  ヨハネによる福音書 20:19-31
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

祈りのヒント
四つの福音書は、最初にイエスの墓に行ったのは女性の弟子たちだけであり、彼女たちが空の墓を見つけたと記す。ナザレのイエスヘの愛情が、マグダラのマリアを始め,この婦人たちをイエスの墓に向かわせた。そこで、神の使いたちのメツセージをいただく。「あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。」”空の墓”を見た証人として、彼女たちはイエスの他の弟子たちのもとヘ走って行き、ありのままの体験を分かち合う。
今日の福音書に出て来る、「十二使徒」と呼ばれた男性の弟子たちの体験は、この婦人たちと異なる。彼らは復活したキリストから最後の出現を受ける。しかも、ユダヤ人を恐れて閉じこもり、自分たちの家から出られない状態の中で。そこヘ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。復活したキリストが、自分の手とわき腹の傷跡を見せ、シャロームの平和の言葉を弟子たちと交わす。十字架の傷跡を見せるキリストに対して弟子たちの喜びが強調されている。復活したイエスの平和は安っぽいものではなく、受難と十字架をとおしてもたらされた平和である。
イエスが幽霊ではなく、本当に復活して生きておられることを、自分の目と指と手で実際に確かめなければ、信じられないというトマスの心が分かる。トマスはイエスの死を深刻に受け止めざるを得なかったのである。トマスとの再会を通して、主は、私たちにも呼びかけられる。「これから、信じない者ではなく、信じる者になりなさい。わたしのゆるしと平和の証人になりなさい。」聖盡の息吹を受けて、新しく創造され、ゆるしや和解を人々にもたらすために。
主イエスは生きておられる。主イエスは閉じこもる私たちの所に来て、私たちの真中に立ち、すべての扉を開き、すべての弟子に平和”シャローム”をもたらされる。復活したキリストの体には”傷跡”が残されている。しかし、トマスのように共同体とその分かち合いから離れていると、復活したキリストを信じることが難しくなるだろう。
今日の拝領析願で祈りたい。「主の死と復活を記念する秘跡にあずかった私たちが,いつもその恵みによって生きることが出来ますように。」
(日曜日のみことば 2019-04-28)

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