4月10日 受難の主日(枝の主日)

第一朗読  イザヤ書 50:4-7
主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え、疲れた人を励ますように 言葉を呼び覚ましてくださる。
朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし、弟子として聞き従うようにしてくださる。
主なる神はわたしの耳を開かれた。わたしは逆らわず、退かなかった。
打とうとする者には背中をまかせ、ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。
主なる神が助けてくださるから、わたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。わたしは知っている、わたしが辱められることはない、と。

第二朗読  フィリピの信徒への手紙 2:6-11
(イエス・)キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。

福音朗読  ルカによる福音書 23:1-49
(そのとき、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちは、)立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。」そこで、ピラトがイエスに、尋問した。「お前がユダヤ人の王なのか」イエスは、お答えになった。「それは、あなたが言っていることです」ピラトは祭司長たちと群衆に、言った。「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」しかし彼らは、言い張った。「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」
これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。この日、ヘロデとピラトは仲がよくなった。それまでは互いに敵対していたのである。ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、言った。
「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」しかし、人々は一斉に、叫んだ。「その男を殺せ。バラバを釈放しろ」とこのバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。しかし人々は、叫び続けた。「十字架につけろ、十字架につけろ」ピラトは三度目に言った。「いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たる犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方は彼らに引き渡して、好きなようにさせた。人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。そのとき、人々は山に向かっては、『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、丘に向かっては、『我々を覆ってくれ』と言い始める。『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」
ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方がたしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。するとイエスは、言われた。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」こう言って息を引き取られた。
百人隊長はこの出来事を見て、神を賛美して言った。「本当に、この人は正しい人だった」、見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。

祈りのヒント
十字架の道を歩まれるイエス。
そのイエスを取り巻く議員の言葉に、目が留まりました。
「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」
また、兵士もこう言います。
「おまえがユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」
共に十字架にかけられていた犯罪人の一人もこう言ってイエスを罵ります。
「おまえはメシアではないか。自分と我々を救ってみろ。」十字架の苦しみを受けられるイエスが示してくださる救いとは、一体どのようなものなのでしょう。そんな思いを心に抱きながら、今日の福音でイエスが語る3つの言葉に、よく耳を傾けてみたいです。
この3つの言葉が私の心に深く響いていくように、祈りをこめて。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
「はっきりいっておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる。」
「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」

イエスが私たちすべての人に示してくださる救いは、赦し、共に「居る」こと、御父の手の中に自分を委ねること。
この3つのことは、私たちが、人生の歩みの中で常に大事にしたいことだと思います。
イエスが今日、私たちに示してくださった救いは、イエスが十字架の苦しみと死を通して、私たちをみな、誰一人として取り残すことなく御父の最愛の子として、共に、天国へ迎え入れてくださる救いです。見失った子羊を見つけて、喜んで肩に担いで戻ってくる羊飼いのように、十字架の重荷をご自分の肩に担いで、救いを示してくださるのです。

今日一日、イエスの歩みに寄り添いながら過ごせますように。
詩編131のみ言葉を胸に抱きながら。
「主よ、わたしの心は驕っていません。わたしの目は高くを見ていません。
大き過ぎることを、わたしの及ばぬ驚くべきことを、追い求めません。
わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように
母の胸にいる幼子のようにします。」

そして、すべての人の平和を願って祈りを捧げたい。

(日曜日のみことば 2022-04-10)

 

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