4月10日 復活節第2火曜日

第一朗読  使徒言行録 4:32-37
信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。

福音朗読  ヨハネによる福音書 3:7a、8-15
(そのとき、イエスは、ニコデモに言われた。)「あなたがたは新たに生まれねばならない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。

祈りのヒント
ニコデモのように立派な人でも、自分の力で自分を新しくすることはできない。
わたしたちを新しい存在にするのは神!
神の霊である聖霊の働きによって、わたしたちは導かれる。
聖霊は、最も必要なふさわしい風を、吹かせてくださる。
風が自由に吹けるように、自分の常識や、思い込みや不信…等…
風をさえぎる障壁は取り除いていこう。
蛇に噛まれた(罪から生じた)傷の痛み、死への恐怖、 (民数記21:4-9参照)
わたしたちは自分の命だけに目を向けるが、そこから目を離して、
青銅の蛇を、十字架のイエスを、見上げるとき、
見えてくるのは、自分の命ではなく、神の(救いの)命ではないだろうか!
自分の命に囚われる自分から自由になって、
神の命に生きる新しい自分を、(日々)確かめながら歩きたい!

聖霊! 導いてください!

(毎日のみことば 2018-04-10)

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