4月13日 受難の水曜日

第一朗読 イザヤ書 50:4-9a
主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え、疲れた人を励ますように 言葉を呼び覚ましてくださる。
朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし、弟子として聞き従うようにしてくださる。主なる神はわたしの耳を開かれた。
わたしは逆らわず、退かなかった。打とうとする者には背中をまかせ、ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。主なる神が助けてくださるから、わたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。わたしは知っている わたしが辱められることはない、と。
わたしの正しさを認める方は近くいます。誰がわたしと共に争ってくれるのか われわれは共に立とう。
誰がわたしを訴えるのか わたしに向かって来るがよい。
見よ、主なる神が助けてくださる。誰がわたしを罪に定めえよう。

福音朗読  マタイによる福音書 26:14-25
そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」

祈りのヒント
イスカリオテのユダの真意は何だったのだろう。
本当に祭司長たちにイエスを引き渡したかったのだろうか。
それともイエスを自分に振り向かせたいためだったのだろうか。
ただ単にお金が欲しかったのだろうか。
わからない。わからない。
しかし、ユダの存在により、ドラマはどんどん進んでいく。
闇に向かってのドラマ。その先に光があることを信じたい。
(毎日のみことば 2022-04-13)

ページ上部へ戻る