4月19日 復活節第2主日

第一朗読  使徒言行録 2:42-47
(信者たちは、)使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。
すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。

第二朗読  ペトロの手紙 一 1:3-9
わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。
あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。

福音朗読  ヨハネによる福音書 20:19-31
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。

祈りのヒント
「あなたがたに平和があるように」という、イエスの呼びかけ。その呼びかけは何度も何度も、くどいほどに繰り返されます。それは、「どうか安心してくださいね」という気持ちをこめたイエスの呼びかけです。心の底から相手を大切におもって、イエスは語ります。
弟子たちにとって、おそらく一番聞きたかった言葉は「どうか安心してくださいね」というゆるしのひとことだったと思われます。大切な恩師を裏切ってしまった、という強い後悔の念にさいなまれていた弟子たちにとって、イエスの死後の日々は重いものでした。もう、ゆるしてもらえないのではないか、とりかえしのつかないことをしでかしてしまった、という痛みを感じつづける毎日は、弟子たちにとって救いようのない暗闇の状態でした。
復活したイエスのすごいところは、何度も何度も弟子たちの前に現われては「だいじょうぶだ、もうゆるしているのだから」としつこく念を押しつづけたことにあります。相手が感じている悩みを、真正面から受けとめて、ひとつひとつのことにしっかり対応するのがイエスの姿勢なのです。弟子たちといっしょにいなかったトマスに対しても、イエスは対応しているからです。ひとつひとつのことがらを決しておろそかにしない、丁寧な関わりかたを、イエスは身をもって示しています。生きているときも、死んだあとも、ともかくいつでも、イエスは相手を大切にしつづけます。一貫したいつくしみの姿勢が、イエスの特長です。
いついかなるときであっても、相手を決しておろそかにしないで大切に支えるのが「いつくしみ」の姿勢です。ひとつひとつのことがらに真剣に向き合って、着実に支えてゆく態度こそが神のわざです。神は人間ひとりひとりを理解して、相手に応じて丁寧に関わります。その神のいつくしみの姿勢を身をもって見せてくれたのがイエスでした。
第一朗読で「ひとつになって」という言葉が出てきます。そして第二朗読では「生き生きとした希望」という言葉も出てきます。キリスト者は心をひとつにして、将来に希望をいだいて生き生きと毎日を過ごす親密さと新鮮さを備えています。初代教会の共同体の状況を再確認するためにも、今日の朗読箇所は大いに役立ちます。イエスからゆるされて、希望に燃えて、心をひとつにして他者をつつみこむようにして宣教することがキリスト者の使命。
私たちは、二千年前の弟子たちと同じように、とりかえしのつかないことをしでかした痛みにさいなまれて生きているのかもしれません。言わば、自分の力ではどうにもできない暗闇のどん底にいるわけです。しかし、そのような私たちのもとに出向いて安心感をいだかせる呼びかけを繰り返す丁寧な伴走者がいるときに、立ち直ることができるようになります。新約聖書では「立ち直ること」が「復活」を意味しています。イエスが復活しているのは、私たちを立ち直らせるためなのです。
(日曜日のみことば 2020-04-19)

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