4月29日 聖カタリナ(シエナ)おとめ教会博士

第一朗読  使徒言行録 8:1b-8
その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤとサマリアの地方に散って行った。しかし、信仰深い人々がステファノを葬り、彼のことを思って大変悲しんだ。一方、サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して牢に送っていた。
さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた。フィリポはサマリアの町に下って、人々にキリストを宣べ伝えた。群衆は、フィリポの行うしるしを見聞きしていたので、こぞってその話に聞き入った。実際、汚れた霊に取りつかれた多くの人たちからは、その霊が大声で叫びながら出て行き、多くの中風患者や足の不自由な人もいやしてもらった。町の人々は大変喜んだ。

福音朗読  ヨハネによる福音書 6:35-40
(そのとき、イエスは人々に言われた。)「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。しかし、前にも言ったように、あなたがたはわたしを見ているのに、信じない。父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」

祈りのヒント
神の愛は柔らかい。父の御心を行うために天から降って来たイエスは「柔能制剛」を生きている。出会うひとり一人に丁寧に関わり、永遠の命への道に招いておられる。イエスが私たちに求めることは「信じる者」になること。「信じる」とは硬く固定されたものではなく、日々の営みから来る問いかけに誠実に応えていくこと。春の柔らかな日差しを通して神の愛を感じさせてください。
(毎日のみことば 2020-04-29)

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