4月4日 受難の火曜日

第一朗読  イザヤ書 49:1-6
島々よ、わたしに聞け 遠い国々よ、耳を傾けよ。
主は母の胎にあるわたしを呼び、母の腹にあるわたしの名を呼ばれた。
わたしの口を鋭い剣として御手の陰に置き
わたしを尖らせた矢として矢筒の中に隠して、わたしに言われた
あなたはわたしの僕、イスラエル あなたによってわたしの輝きは現れる、と。
わたしは思った、わたしはいたずらに骨折り うつろに、空しく、力を使い果たした、と。
しかし、わたしを裁いてくださるのは主であり 働きに報いてくださるのもわたしの神である。
主の御目にわたしは重んじられている。わたしの神こそ、わたしの力。今や、主は言われる。
ヤコブを御もとに立ち帰らせ、イスラエルを集めるために
母の胎にあったわたしを、御自分の僕として形づくられた主は、こう言われる。
わたしはあなたを僕として、ヤコブの諸部族を立ち上がらせ イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。
だがそれにもまして、わたしはあなたを国々の光とし わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。

福音朗読  ヨハネによる福音書 13:21-33、36-38
(そのとき、イエスは弟子たちとともに食事の席についておられたが、)心を騒がせ、断言された。「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、顔を見合わせた。イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。シモン・ペトロはこの弟子に、だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と言うと、イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。座に着いていた者はだれも、なぜユダにこう言われたのか分からなかった。ある者は、ユダが金入れを預かっていたので、「祭りに必要な物を買いなさい」とか、貧しい人に何か施すようにと、イエスが言われたのだと思っていた。ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。
さて、ユダが出て行くと、イエスは言われた。「今や、人の子は栄光を受けた。神も人の子によって栄光をお受けになった。神が人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も御自身によって人の子に栄光をお与えになる。しかも、すぐにお与えになる。子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。
シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか。」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる。」ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」イエスは答えられた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう。」

祈りのヒント
ペテロは、イエスと一緒に死ぬまでついて行くことを誓いながら、捕まることを恐れて逃げてしまった弱い人です。少なくとも、ユダは無謀な約束をしませんでした。しかし、ペテロを救うのは、自らの悔い改めと後の改心の深さでしょう。
私たちもイエスや周りの人を何度も裏切ってきました。感謝の祭儀でイエスの御体であるパンをいただきながら、周りの人への接し方でイエスに背を向けてきたのです。告解の時に二度と罪を犯さないと約束したのに、同じ過ちを繰り返してしまったこともあります。
私たちもペトロのように、自分が行ったすべての悪とやり残したすべての善のために、激しく泣きながら悔悛することができるように祈りましょう。
(毎日のみことば 2023-04-04)

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