4月5日 受難の水曜日

第一朗読  イザヤ書 50:4-9a
主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え、疲れた人を励ますように 言葉を呼び覚ましてくださる。
朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし、弟子として聞き従うようにしてくださる。
主なる神はわたしの耳を開かれた。わたしは逆らわず、退かなかった。
打とうとする者には背中をまかせ、ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。
主なる神が助けてくださるから、わたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。
わたしは知っている、わたしが辱められることはない、と。
わたしの正しさを認める方は近くいます。
誰がわたしと共に争ってくれるのか われわれは共に立とう。
誰がわたしを訴えるのか わたしに向かって来るがよい。
見よ、主なる神が助けてくださる。誰がわたしを罪に定めえよう。

福音朗読  マタイによる福音書 26:14-25
そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。
除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」

祈りのヒント
イエスの使命の最後の歴史的な一幕のための舞台が用意されているのです。ユダは、祭司長たちのところに行って、イエスを引き渡すための取引をしました。この「引き渡し」という言葉は福音書の中で繰り返し出てきますが、ここでクライマックスに達します。
この後の聖なる三日間、私たちは観衆としてではなく、参加者として注意深くそれを見守りましょう。私たちもまた、もしかしたら、お金のため、野心のため、欲のため、怒り、憎しみ、復讐、あるいは自分の個人的利益のためにイエスを売ってしまったことがあるかもしれないのです。しかし私たちは、ペテロのように悔い改めの涙を流してイエスのもとに戻ってくることができるのです。
(毎日のみことば 2023-04-05)

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