4月8日 受難の水曜日

第一朗読 イザヤ書 50:4-9a
主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え、疲れた人を励ますように
言葉を呼び覚ましてくださる。
朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし、弟子として聞き従うようにしてくださる。
主なる神はわたしの耳を開かれた。わたしは逆らわず、退かなかった。
打とうとする者には背中をまかせ、ひげを抜こうとする者には頬をまかせた。
顔を隠さずに、嘲りと唾を受けた。
主なる神が助けてくださるから、わたしはそれを嘲りとは思わない。
わたしは顔を硬い石のようにする。
わたしは知っている、わたしが辱められることはない、と。
わたしの正しさを認める方は近くいます。
誰がわたしと共に争ってくれるのかわれわれは共に立とう。
誰がわたしを訴えるのかわたしに向かって来るがよい。
見よ、主なる神が助けてくださる。誰がわたしを罪に定めえよう。

福音朗読  マタイによる福音書 26:14-25
そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、「あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか」と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。そのときから、ユダはイエスを引き渡そうと、良い機会をねらっていた。除酵祭の第一日に、弟子たちがイエスのところに来て、「どこに、過越の食事をなさる用意をいたしましょうか」と言った。イエスは言われた。「都のあの人のところに行ってこう言いなさい。『先生が、「わたしの時が近づいた。お宅で弟子たちと一緒に過越の食事をする」と言っています。』」弟子たちは、イエスに命じられたとおりにして、過越の食事を準備した。夕方になると、イエスは十二人と一緒に食事の席に着かれた。一同が食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは非常に心を痛めて、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」

祈りのヒント
なぜユダはイエスを裏切ったのでしょうか?
彼がイエスを祭司長たちに引き渡したのは、おそらくお金に目がくらみ、ずる賢かったからでしょう。そして憎しみが、イエスを殺そうとする動機になったと考えられます。ひょっとしたら、イエスを天からの指導者として認めていたユダは、イエスを死なせようとは思っていなかったかもしれません。ユダは、ただイエスに自分の計画を放棄させるつもりだったのではないでしょうか。
理由が何であれ、ユダの堕落において、彼がよく考えていたということがわかります。今日の福音書は次のように語っています。「そのとき、十二人の一人で、イスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところへ行き、『あの男をあなたたちに引き渡せば、幾らくれますか』と言った。そこで、彼らは銀貨三十枚を支払うことにした。そのときから、ユダはイエスを渡そうと、良い機会をねらっていた。」
ユダの計画について深く考えてみると、彼がイエスの計画に従うことではなく、イエスが自分の計画に従うのを望んだことがわかります。イエスはユダに立ち帰ってほしいと望みましたが、ユダは自分の計画が一番良く、一番正しいのだと思いました。そのために、ユダはイエスのその願いを無視しました。そしてユダは自分の計画を実現させたのです。
主よ、あなたのみ旨の代わりに自分の望みを選んだとき、自分が不幸になることを、私が理解できますように。
(毎日のみことば 2020-04-08)

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