4月8日 四旬節第5月曜日

第一朗読  ダニエル書補遺 スザンナ 1:41c-62
(その日、集まっていた人々は、スザンナを)死罪に定めた。すると、スザンナは、大声で叫んだ。「ああ、永遠の神、隠されたことを知り、あらゆることをその起こる前から知っておられる方よ。彼らがわたしについて偽証したことをあなたはご存じです。御覧ください。この人たちが悪意をもって作り上げたことをわたしは何一つしませんでした。それなのに死なねばなりません。」
主は彼女の声を聞かれた。彼女が処刑のために引かれて行くとき、神はダニエルという若者の内にある、聖なる霊を呼び覚まされた。彼は大声で、「わたしは、この婦人の血について責任はない」と叫んだ。それで、人々は皆、ダニエルの方を向いて、「あなたが言ったことは、いったい、どういうことなのか」と言った。ダニエルは人々の真ん中に立って言った。「イスラエルの子らよ、あなたがたは、それほど愚かなのですか。究明もせず、真実も知らずに、イスラエルの娘を断罪するのですか。もう一度、裁きの場に戻りなさい。なぜならこの二人は彼女について偽証したからです。」そこで、人々は皆、急いで戻った。ほかの長老たちはダニエルに言った。「こちらへ来て我々の真ん中に座りなさい。そしてわたしたちにはっきり言いなさい。神があなたに長老の特権を与えられたのだから。」
ダニエルは彼らに言った。「あの二人を遠く引き離してください。わたしが審問いたします。」それで、二人が別々に引き離されると、ダニエルはそのうちの一人を呼んで言った。「悪の日々を重ねてきた老いぼれよ、今や、あなたが過去に犯した罪の報いがやってきた。主が、『罪なき人、正しい人を殺してはならない』と言っておられるにもかかわらず、あなたは不正な裁きを行い、罪なき人を断罪し、責めある者を見逃した。あなたが彼女を見たと言うのなら言っていただきましょう。二人が一緒にいたのはどんな木の下でしたか。」それで彼は、「乳香樹の下だ」と答えた。ダニエルは言った。「まさしくあなたは致命的な偽証をしたのだ。今や、神の使いが、神の判決を受け取り、あなたを二つに裂く。」次にダニエルは彼を去らせ、他の一人を連れて来るよう命じた。ダニエルは彼に言った。「カナンの末裔よ、あなたはユダ族の子孫である資格はない。あなたは美貎に目がくらみ、欲情に心を迷わせた。あなたたちはいつもこのように、イスラエルの娘たちにしていたのだ。彼女らは恐ろしさのあまりあなたたちに身を任せた。しかし、ユダの娘の中に一人、あなたたちのよこしまなふるまいに、屈服しなかった者がいる。さて、わたしに答えていただきましょう。二人が一緒のところをあなたが捕らえたのは、どんな木の下でしたか。」彼は、「かしわの木の下だ」と答えた。ダニエルは言った。「まさしくあなたも致命的な偽証をした。神の使いが剣を持ち、あなたを真っ二つに切り裂こうと待ち構え、あなたたちを討ち滅ぼす。」すると全会衆は大声で叫び、神を、すなわち御自分に望みを置く人々を救われる神を賛美した。人々は二人の長老に対して立ち上がった。なぜなら、彼らが偽証人であったことをダニエルが彼ら自身の証言によって明らかにしたからである。人々は二人がその隣人を陥れようとしたのと同じことを彼らに対して行った。すなわちモーセの律法に従って二人を死刑に処したのである。こうしてこの日、無実の人の血が流されずにすんだ。

福音朗読  ヨハネによる福音書 8:12-20
(そのとき、イエスはファリサイ派の人々に言われた。)「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」それで、ファリサイ派の人々が言った。「あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。」イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。 しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。 あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。 わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。」彼らが「あなたの父はどこにいるのか」と言うと、イエスはお答えになった。「あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知るはずだ。」イエスは神殿の境内で教えておられたとき、宝物殿の近くでこれらのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。

祈りのヒント
キリストの光は、自分や他人を過大に、あるいは過少に、歪めてみている自分の姿も、
人を傷つけ、傷つけられた心の傷も、答えのない絶望という心の闇も、ありのままを照らし出す。
自分ではどうすることもできないその闇のなかに、キリストの恵みの光は差し込んでくる!
意味を与え、癒し、わたしの心を神に向かって開放してくれる救いの光だ!
本来わたしたちは、神との関係のなかに生きるもの。
「どこから来て、どこへ行くのか」を知っている確かな存在、キリストの光に導かれながら歩んでいこう。
キリストの光がわたしたちから奪われることはない。辛い出来事や、困難にあっても、キリストの光に生かされて生きる命を、今日も精一杯輝かせて生きてみよう!
「わたしに従うものは暗闇の中を歩かず、命の光をもつ。」
(毎日のみことば 2019-04-08)

ページ上部へ戻る