6月1日 聖ユスチノ殉教者

第一朗読  シラ書 42・15-25
わたしは今、主の業を思い浮かべ、わたしの見たことを詳しく語ろう。
主の言葉によって御業は成り、〔御旨のままに定めが実現した。〕
光り輝く太陽は万物に目を注ぎ、主の業はその栄光に満ちている。
主はすべての驚くべき御業を語ることを、天使たちにさえお許しにならなかった。
全能の主は、万物を揺るぎなく据えられた。万物を主の栄光で満たし固められた。
主は地下の海も人の心も究め尽くし、その見事な仕組みを知り尽くしておられる。
いと高き方はすべてのことに精通し、時の徴に目を留められる。
主は、過去と未来を告げ知らせ、隠されたものの形跡を明るみに出される。
いかなる思いも、主は見逃さず、一言半句も主は聞き逃されない。
主は、御自分の知恵による壮大な業を秩序立て、永遠から永遠にわたって変わらぬ方であられる。
主には、付け加えるものも取り去るものもなく 主はいかなる助言者も必要とされない。
主のすべての業はなんと見事なものであろうか。目に映る小さな火花に至るまで。
これらすべてのものは永遠に活動を続け、すべての必要を満たし、すべてに応じる。
すべてのものは対をなし、一方は他に対応する。主は不完全なものを何一つ造られなかった。
一方は他の長所を更に強める。だれが主の栄光を見て飽き足りたといえようか。

福音朗読  マルコによる福音書 10・46-52
イエスが弟子たちや大勢の群衆と一緒に、エリコを出て行こうとされたとき、ティマイの子で、バルティマイという盲人が道端に座って物乞いをしていた。ナザレのイエスだと聞くと、叫んで、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と言い始めた。多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。イエスは立ち止まって、「あの男を呼んで来なさい」と言われた。人々は盲人を呼んで言った。「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ。」盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た。イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」盲人は、すぐ見えるようになり、なお道を進まれるイエスに従った。

祈りのヒント
私には叫ぶほどの強い望みはない。感謝でいっぱい、もう十分だと感じていた。でも、自分の心を掘っていくと、今はまだぼんやりしているけれど、これこそが望みだというものがあるようだと思い始めている。イエスの光を頼りに、もう少し深く掘っていってみよう。
(毎日のみことば 2023-06-01)

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