6月14日 年間第10水曜日

第一朗読  コリントの信徒への手紙 二 3:4-11
(皆さん、)わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いています。もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。わたしたちの資格は神から与えられたものです。神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。文字は殺しますが、霊は生かします。
ところで、石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務めさえ栄光を帯びて、モーセの顔に輝いていたつかのまの栄光のために、イスラエルの子らが彼の顔を見つめえないほどであったとすれば、霊に仕える務めは、なおさら、栄光を帯びているはずではありませんか。人を罪に定める務めが栄光をまとっていたとすれば、人を義とする務めは、なおさら、栄光に満ちあふれています。そして、かつて栄光を与えられたものも、この場合、はるかに優れた栄光のために、栄光が失われています。なぜなら、消え去るべきものが栄光を帯びていたのなら、永続するものは、なおさら、栄光に包まれているはずだからです。

福音朗読  マタイによる福音書 5:17-19
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。」

祈りのヒント
とかく人間は自分と合わないものが出現したとき、そしてそれに新鮮さを感じたとき、これまでのものを終わらせてしまおうとする傾向があるようだ。
今日の福音のイエスの言葉はまさしくそこを突いているような気がする。これまでのものをイエスは否定しない。むしろそれを越えた完成度を突いてくる。これはかなり斬新な教えであろう。イエスのすべてを大切にしようとする意識を感じる。いかがであろうか。
(毎日のみことば 2023-06-14)

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