6月14日 年間第10金曜日

第一朗読  コリントの信徒への手紙 二 4:7-15
(皆さん、)わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。こうして、わたしたちの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります。「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたちをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感謝の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。

福音朗読  マタイによる福音書 5:27-32
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」
「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」

祈りのヒント
「姦淫」は人の欲からくるもの。人が、欲の次元から、愛の次元に移行するには、目をえぐり出し、手を切り取るほどの苦痛をともなうものなのだろう。イエスは十字架上で、その苦痛を引き受け、愛の次元を開いてくださった。
夫婦も、家族も、様々な共同体の人々も、同じ愛の次元に立っている。関係を取り結んでいるのは、わたし(たち)ではなく、神ではないか?! それぞれが、パートナーとして、神に結ばれている尊い相手だ!
姦淫は絆を断ち切るが、愛はその切られた絆を結んでいく。関係の解消ではなく、関係を築く努力を選んでいこう!
わたしたちに向けられているイエスの眼差しをもって、わたしたちに差し出されているイエスの手をもって、心を向け合い、分かち合えば、信頼の絆は深まっていく!
(毎日のみことば 2019-06-14)

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