6月15日 年間第10土曜日

第一朗読  コリントの信徒への手紙 二 5:14-21
(皆さん、)キリストの愛がわたしたちを駆り立ててい(ます)。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。

福音朗読  マタイによる福音書 5:33-37
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」

祈りのヒント
神の前に、人の言葉は不完全だ。誓ったことを守り続けることは難しい。
「わたしは決してつまずきません」(マタイ26:33)と本気で言ったペトロの言葉を思い出す。
誓いを立てる心には、自分の発する言葉が、自分の思いどおりになると思う傲慢が潜んでいるのかもしれない。
人が誓うことの不確かさや不真実を認めよう。
わたしたちは共にいるキリストの心に留まろう。
神の御心につながる言葉には「然り」、誘惑の言葉には「否」とする、キリストのこたえを頼りにしていこう。
真実のうちにあるキリストの言葉を、素直な心で受け取って出てくる感謝の言葉は、神の前に、偽りのない、わたしたちの真実の言葉ではないだろうか!
(毎日のみことば 2019-06-15)

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