6月17日 聖母のみ心

第一朗読  イザヤ書 61:9-11
彼らの一族は国々に知られ、子孫は諸国の民に知られるようになる。彼らを見る人はすべて認めるであろう これこそ、主の祝福を受けた一族である、と。
わたしは主によって喜び楽しみ わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る。
主は救いの衣をわたしに着せ 恵みの晴れ着をまとわせてくださる。
花婿のように輝きの冠をかぶらせ 花嫁のように宝石で飾ってくださる。
大地が草の芽を萌えいでさせ 園が蒔かれた種を芽生えさせるように、
主なる神はすべての民の前で 恵みと栄誉を芽生えさせてくださる。

福音朗読  ルカによる福音書 2:41-51
(イエスの)両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。

祈りのヒント
イエスがエルサレムからの帰路で迷子になったと思ったときの両親に思いを馳せます。三日間探し回る二人。どんな思いの三日間だったのでしょう。やっとイエスを見つけたときの喜びと疲労の様子が今日の福音箇所から見えてきます。そしてイエスから発せられる不思議な言葉。その言葉を拒否するのではなく、聖母はわからないなりにしっかりと自分の心にとどめます。わからなくても受け入れるという姿からわたしたちも学ぶことができます。
(毎日のみことば 2023-06-17)

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