6月21日 年間第12主日

第一朗読  エレミヤ書 20:10-13
(エレミアは言った。)わたしには聞こえています多くの人の非難が。「恐怖が四方から迫る」と彼らは言う。「共に彼を弾劾しよう」と。わたしの味方だった者も皆、わたしがつまずくのを待ち構えている。「彼は惑わされて我々は勝つことができる。彼に復讐してやろう」と。
しかし主は、恐るべき勇士として、わたしと共にいます。それゆえ、わたしを迫害する者はつまずき 勝つことを得ず、成功することなく甚だしく辱めを受ける。それは忘れられることのないとこしえの恥辱である。万軍の主よ、正義をもって人のはらわたと心を究め見抜かれる方よ。わたしに見させてください、あなたが彼らに復讐されるのを。わたしの訴えをあなたに打ち明けお任せします。
主に向かって歌い、主を賛美せよ。主は貧しい人の魂を悪事を謀る者の手から助け出される。

第二朗読  ローマの信徒への手紙 5:12-15
(皆さん、)一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。
しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。

福音朗読  マタイによる福音書 10:26-33
(そのとき、イエスは使徒たちに言われた。)「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。わたしが暗闇であなたがたに言うことを、明るみで言いなさい。耳打ちされたことを、屋根の上で言い広めなさい。体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」
「だから、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、わたしも天の父の前で、その人をわたしの仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」

祈りのヒント
天の父である神と使徒たちとの関わりが物語られています。使徒たちは常に神の仲間として生きるときに、助け出されます。神は、助けを求める貧しき人間を大切にもてなし、救い出します。

預言者エレミヤの時代から12使徒たちの時代にいたるまで、常に、神は相手を見棄てませんでした。その真実は、ローマの教会の時代においても引き続きあかしされ、今日にまでいたっています。信仰者の歴史ひいてはキリスト者にとっての歴史とは、神のいつくしみ深さをあかしする日々の積み重ねなのでしょう。

人は人を裏切り、棄てます。人の仲間として生きたとしても。しかし、神は決して人を裏切らず、見棄てません。神の仲間として生きたほうが、人は安心して前進することができます。そのことに、エレミヤもパウロも気づいています。神の徹底的ないつくしみについては、御独り子イエス・キリストが使徒たちに対して明確に述べています。父の意志は独り子イエスの意志でもあるのです。この真実を、イエスは使徒たちに明確に物語っているのです。

私たちは、どうでしょうか。果たして、使徒たちのように、イエスのまごころこもった語りかけを受け容れているでしょうか。常に、自分の態度を見直す必要があるのかもしれません。古代のエレミヤや二千年前の使徒たちのように、神への信頼を保ちつづけて生きることが肝要です。父である神のいつくしみを徹底的に身をもって示した独り子イエス・キリストの語りかけを心に留めて、今日も私たちは歴史の流れを引き受けて前進するのです。

 

(日曜日のみことば 2020-06-21)

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