6月4日 三位一体の主日

第一朗読  出エジプト記 34:4b-6、8-9
(その日、)モーセは前と同じ石の板を二枚切り、朝早く起きて、主が命じられたとおりシナイ山に登った。手には二枚の石の板を携えていた。主は雲のうちにあって降り、モーセと共にそこに立ち、主の御名を宣言された。主は彼の前を通り過ぎて宣言された。「主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、(た者)」モーセは急いで地にひざまずき、ひれ伏して、言った。「主よ、もし御好意を示してくださいますならば、主よ、わたしたちの中にあって進んでください。確かにかたくなな民ですが、わたしたちの罪と過ちを赦し、わたしたちをあなたの嗣業として受け入れてください。」

第二朗読  コリントの信徒への手紙 二 13:11-13
兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。すべての聖なる者があなたがたによろしくとのことです。
主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。

福音朗読  ヨハネによる福音書 3:16-18
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。

祈りのヒント
私たちが人を【信じる】というのは、どのようなときでしょうか。その人が、正しいことを伝え、行いも正しいことをしているときに、私たちはその人を【信じる】ことができるのでしょうか。逆に、相手が言っていることがもしかしたら、間違いかもしれなくても、その人が言っていることなら【信じる】ということがあるのではないでしょうか。
私たちが人を【信じる】というのは、相手に対して好意を持っているか、または、【愛】しているかということではないでしょうか。そして、お互いに関係を築きながら【愛】が深まり、さらに【信じる】ことが【信頼】に変わっていくのではないでしょうか。
きょうのみことばには、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が1人も滅びないで、永遠の命を得るためである」というイエスの言葉で始まっています。では、この【信じる者】とは、どのような人たちでしょうか。ヨハネ福音書の1章には「言(ことば)は、自分を受け入れた人、その名を信じる人には神の子となる資格を与えた」(ヨハネ1・12)とありますように、イエスを受け入れた人のことと言ってもいいでしょう。
きょうのみことばは「神は、独り子を……」とありますように、すべて主語は【神】であります。おん父は弱くて貧しく、すぐに罪を犯してしまう私たちを愛され、ご自分の独り子を、私たちが救われるために遣わされました。私たちは、洗礼の恵みを受けたときに、信仰宣言の中で「信じます」と誓いました。そして、ミサの中の信仰宣言の中でも「信じます」と唱えています。
私たちがイエスを受け入れ、「信じます」と宣言しているということを、今一度振り返ってみたいものです。そして、私たちに永遠の命を得させるため、独り子を遣わされるほど私たちを愛されたおん父に、感謝と信頼をもって日々の生活を送ることができたらいいですね。
(日曜日のみことば 2023-06-04)

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