6月5日 聖霊降臨の主日

第一朗読  使徒言行録 2:1-11

五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」

第二朗読  ローマの信徒への手紙 8:8-17

(皆さん、)肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。

福音朗読  ヨハネによる福音書 14:15-16、23b-26

(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」

祈りのヒント
私たちは、どのような時に【聖霊】の働きを感じるのでしょうか。私の友人のお姉さまが亡くなられたのですが、彼女は、口癖のように「私は聖霊によって生かされている」と言っていたそうです。彼女にとって【聖霊】は身近なお方だったのでしょう。
【聖霊】は、ギリシャ語で「風」「空気」「大いなるものの息」という意味で表される、「プネウマ」と言われていたようです。このように考えると、【聖霊】は特別な方ではなく、私たちの身近な方と言ってもいいのです。
きょうのみことばは、最後の晩餐の席でイエスが弟子たちに聖霊を送ることを約束された場面です。イエスは「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」と弟子たちに言われます。
またイエスは、その前にまず、「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る」と言われ、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ13:34)と言われたことを弟子たちに思い起こさせます。イエスは、聖霊を与える条件として「新しい掟を守る」ことを示されます。「掟を守る」というと義務のようで硬い感じがしますが、【聖霊】は、三位一体の神の一つのペルソナですから、【愛】がないところには、聖霊が入ることができないと言ってもいいでしょう。
イエスは、ご自身がおん父にお願いして私たちに【聖霊】を遣わすことを約束され、その【聖霊】が永遠に一緒にいてくださると言われるのです。このように素晴らしいことはないのではないでしょうか。さらに、「……父とわたしはその人のところに行き、一緒に住む」とも言われます。私たちの中には、三位一体の神が一緒に住まわれているのです。
私の友人のお姉さまは、いつも周りの方を愛されていたのでしょう。もちろん、気が合わない方もいたでしょうが、それでも、その方のために祈られ、愛そうとされたのではないでしょうか。私たちは、日々の生活の中で、もっともっと【聖霊】を身近に感じて歩むことができたらいいですね。
(日曜日のみことば 2022-06-05)C

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