6月8日 聖母のみ心

第一朗読  イザヤ書 61:9-11

彼らの一族は国々に知られ、子孫は諸国の民に知られるようになる。
彼らを見る人はすべて認めるであろうこれこそ、主の祝福を受けた一族である、と。
わたしは主によって喜び楽しみ わたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る。
主は救いの衣をわたしに着せ 恵みの晴れ着をまとわせてくださる。
花婿のように輝きの冠をかぶらせ 花嫁のように宝石で飾ってくださる。
大地が草の芽を萌えいでさせ 園が蒔かれた種を芽生えさせるように、主なる神はすべての民の前で 恵みと栄誉を芽生えさせてくださる。

福音朗読  ルカによる福音書 2:41-51
(イエスの)両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。

祈りのヒント
聖母マリアはイエスがあらゆる面で成長するのを目撃しました。 イエスは自分が父に属していること、そして自分の使命をますます意識するようになりました。 御子は計り知れない謎であり、マリアは毎日それについて学ばなければなりませんでした。たとえそれが多くの苦しみをもたらしたとしても、御子に自分の意志に従って生きる自由を与えました。 私たちも、聖母マリアに倣い、神が人生においてこれまでに何をなさったか、現在行っていること、そしてこれからなさるであろうことを考えてみましょう。
(毎日のみことば 2024-06-08)

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