6月9日 聖母のみ心

第一朗読  イザヤ書 61:9-11

彼らの一族は国々に知られ、子孫は諸国の民に知られるようになる。彼らを見る人はすべて認めるであろうこれこそ、主の祝福を受けた一族である、と。
わたしは主によって喜び楽しみわたしの魂はわたしの神にあって喜び躍る。主は救いの衣をわたしに着せ恵みの晴れ着をまとわせてくださる。花婿のように輝きの冠をかぶらせ花嫁のように宝石で飾ってくださる。大地が草の芽を萌えいでさせ園が蒔かれた種を芽生えさせるように、主なる神はすべての民の前で恵みと栄誉を芽生えさせてくださる。

福音朗読  ルカによる福音書 2:41-51

(イエスの)両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。

祈りのヒント
神殿を出てから見失って以来、三日後にやっと出会えた母と子。おなじ出来事が、二十数年後、この母と子におこりました。母は黙ってじっと、見つめ、よりそい、まって、祈って、思いめぐらし、ねがって、さがし、そして、このときも、再会をはたしたのでしょう。
汚れなき聖母のみ心は、いま、私たちをさがしています。私たちが神の心にとどまり、自分の十字架をになって、イエスとともに復活するまで、待っています。
(毎日のみことば 2018-06-09)

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