日曜日のみことば
7月6日 年間第14主日
第一朗読 イザヤの預言 66:10-14c
エルサレムと共に喜び祝い、彼女のゆえに喜び躍れ 彼女を愛するすべての人よ。彼女と共に喜び楽しめ 彼女のために喪に服していたすべての人よ。彼女の慰めの乳房から飲んで飽き足り、豊かな乳房に養われ、喜びを得よ。主はこう言われる。見よ、わたしは彼女に向けよう、平和を大河のように 国々の栄えを洪水の流れのように。あなたたちは乳房に養われ 抱いて運ばれ、膝の上であやされる。母がその子を慰めるように わたしはあなたたちを慰める。エルサレムであなたたちは慰めを受ける。これを見て、あなたたちの心は喜び楽しみ、あなたたちの骨は青草のように育つ。主の御手は僕たちと共にあ(る)ことが、こうして示される。
第二朗読 ガラテヤの教会への手紙 6:14-18
(皆さん、)このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。このような原理に従って生きていく人の上に、つまり、神のイスラエルの上に平和と憐れみがあるように。
これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。
兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アーメン。
福音朗読 ルカによる福音 10:1-12、17-20
(そのとき、)主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。
《しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。言っておくが、かの日には、その町よりまだソドムの方が軽い罰で済む。」
七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」》
祈りのヒント |
私たちは、何か大きなイベントや、自分の能力以上の仕事を任された時、嬉しさとともに、恐れや不安を感じるということはないでしょうか。それは、そのことの大変さや困難さを知っているからなのです。 きょうのみことばは、イエスが七十二人の弟子たちを任命して、ご自分が行くつもりのすべての町や村に、二人ずつ先に遣わす場面です。イエスは、弟子たちに「行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。財布も袋も履物も持って行くな。……」と言われます。弟子たちは、自分たちがイエスのように、各地に行って教え、人を癒し、「神の国はあなたがたに近づいた」と宣べ伝えるという使命をいただきます。 イエスは、七十二人の弟子たちを派遣する前に受難の予告をされ、さらに、天に上げられる時期が近づいたためエルサレムに向かう途中でした。また、イエスはご自分の弟子となる覚悟を伝えます。イエスにとってご自分がこれから向かおうとする町や村は、まさに、受難へと向かう旅だったのです。それでも、イエスは人々に「神の国が近づいた」ことを伝えようと弟子たちを派遣されます。それは、イエスご自身が歩まれる【道】でもあったのです。 弟子たちは、イエスのその気持ちを感じたのでしょう。多少の不安を感じながらも、イエスの教えを守って宣教に出かけます。しかし、一人ではなく、もう一人の仲間もいます。イエスが二人ずつ遣わされたのは、二人が助け合うという意味があったのです。さらに、彼らは、自分たちの無力さを感じながらも、おん父への信頼、イエスが後から来られるという安心感も持っていたのではないでしょうか。 弟子たちは、宣教から喜んで帰ってきて自分たちが行なったことをイエスに報告します。私たちは弟子たちのように、それぞれの立場で今の社会の中にイエスから宣教へと派遣されているのです。時には、「狼の群れの中に送り込まれるような」こともあるかもしれませんが、イエスがなんとかしてくださるという信頼と、自分一人ではない、助けてくれる仲間がいるという希望を持って宣教に出かけることができたらいいですね。 |
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(日曜日のみことば 2025-07-06) |