7月1日 福者ペトロ岐部司祭と187殉教者

第一朗読  アモス書 5:14-15、21-24
善を求めよ、悪を求めるな お前たちが生きることができるために。そうすれば、お前たちが言うように万軍の神なる主は、お前たちと共にいてくださるだろう。悪を憎み、善を愛せよ また、町の門で正義を貫け。あるいは、万軍の神なる主が、ヨセフの残りの者を憐れんでくださることもあろう。
(主は言われる。)わたしはお前たちの祭りを憎み、退ける。祭りの献げ物の香りも喜ばない。たとえ、焼き尽くす献げ物をわたしにささげても 穀物の献げ物をささげても わたしは受け入れず肥えた動物の献げ物も顧みない。お前たちの騒がしい歌をわたしから遠ざけよ。竪琴の音もわたしは聞かない。正義を洪水のように、恵みの業を大河のように尽きることなく流れさせよ。

福音朗読  マタイによる福音書 8:28-34
(そのとき、)イエスが向こう岸のガダラ人の地方に着かれると、悪霊に取りつかれた者が二人、墓場から出てイエスのところにやって来た。二人は非常に狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであった。突然、彼らは叫んだ。「神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここに来て、我々を苦しめるのか。」はるかかなたで多くの豚の群れがえさをあさっていた。そこで、悪霊どもはイエスに、「我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ」と願った。イエスが、「行け」と言われると、悪霊どもは二人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中で死んだ。豚飼いたちは逃げ出し、町に行って、悪霊に取りつかれた者のことなど一切を知らせた。すると、町中の者がイエスに会おうとしてやって来た。そして、イエスを見ると、その地方から出て行ってもらいたいと言った。

幼い頃、イエスと悪霊の関係は、テレビのヒーロー番組の、正義の味方と悪者の戦いのようにとらえていた。大人になり、そうではないと知るなかで、自分のエゴイズムとの区別に悩むなど、かえって悪霊をとらえにくくなった面もある。でも、悪魔探しに熱心になるのはやめようと思う。イエスの思いなのか、そうではないのか。この見極めに心を向けたい。
(毎日のみことば 2020-07-01)

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