7月1日 福者ペトロ岐部司祭と 187 殉教者

第一朗読  アモス書 8:4-6、9-12
このことを聞け。 貧しい者を踏みつけ苦しむ農民を押さえつける者たちよ。
お前たちは言う。「新月祭はいつ終わるのか、穀物を売りたいものだ。安息日はいつ終わるのか、麦を売り尽くしたいものだ。エファ升は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう。弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。またくず麦を売ろう。」その日が来ると、と主なる神は言われる。わたしは真昼に太陽を沈ませ 白昼に大地を闇とする。わたしはお前たちの祭りを悲しみに 喜びの歌をことごとく嘆きの歌に変え どの腰にも粗布をまとわせ どの頭の髪の毛もそり落とさせ 独り子を亡くしたような悲しみを与えその最期を苦悩に満ちた日とする。
見よ、その日が来ればと 主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく 水に渇くことでもなく 主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。人々は海から海へと巡り 北から東へとよろめき歩いて 主の言葉を探し求めるが 見いだすことはできない。

福音朗読  マタイによる福音書 9:9-13
(そのとき、イエスは)通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

祈りのヒント
ネガティブな言葉や噂が飛び交う世にあって、人は他者との交わりを恐れ、心を閉ざしていく。丈夫な人が何と少ないことか。豊かさや喜びも織りなされている人生をどのように生きていったらよいのだろうか。「わたしに従いなさい」というイエスの言葉はマタイの心を一瞬にして開き、彼は宴席まで準備した。イエスの憐れみを人々に運んでいくことができますように。
(毎日のみことば 2022-07-01)

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