7月12日 年間第15主日

第一朗読  イザヤ書 55:10-11
(主は言われる。)雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ種蒔く人には種を与え食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げわたしが与えた使命を必ず果たす。

第二朗読  ローマの信徒への手紙 8:18-23
(皆さん、)現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。

福音朗読  マタイによる福音書 13:1-23
その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」
《弟子たちはイエスに近寄って、「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。イザヤの預言は、彼らによって実現した。
『あなたたちは聞くには聞くが、決して理解せず、見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍り、耳は遠くなり、目は閉じてしまった。こうして、彼らは目で見ることなく、耳で聞くことなく、心で理解せず、悔い改めない。わたしは彼らをいやさない。』しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。はっきり言っておく。多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取る。道端に蒔かれたものとは、こういう人である。石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」》

祈りのヒント
今日の福音の始まりにマタイは、イエスは「家を出て、湖のほとりに座っておられた。」と語っています。私は最近、近所で農業を営んでおられる方のところへ手伝いに行きました。毎日今日は何をしたらいいかと聞き畑仕事が始まりました。天気が良いと畑仕事は忙しいのです。10日間晴天続きでくたびれていました。今日やっと雨が降りほっと一息。野菜も人間も一休みです。湖のほとりに座られたイエスも、時々休んで、風のささやきや波の音を感じながら、天の御父の御心に耳を傾ける時が必要だったのかなと思います。わたしたちもそう、天の御父の御心の内で休まれるイエスと一緒に過ごす時間が必要です。

湖の波に揺られながら、イエスは種まきのたとえを語られます。私が畑仕事で一番初めにしたのは、花の種まきでした。私はどのように種をまいたらいいか知りません。花が枯れておしまいになったプランターの土に新しい種をまいたらいいかと聞きました。「いいえ。新しいいい土が必要です。種屋さんが作った種まき用の土を買ってきてください。」と言われ、そのようにしました。さあ、種まきです。土の粒が細かくて柔らかい土を箱に入れ種まきし水をやりました。するとまいた種が浮かんできて・・・失敗しました。「撒く前に土に水を入れて混ぜ湿らせた土に種をまくといいです。」と教えてくださいました。その様に撒いて、時々水をやり何日か後に種の殻を破って芽がでてきました。感動です。そして、また数日経つと、芽が伸び段々と大きく育っていきます。小さかった苗が大きくなるとポットに植え替え、また大きくなるのを待ちます。そして大きくなって・・・畑にプランターに植えました。それまでに何日掛かったのでしょう。そして、実際花が咲くまで何日掛かるのでしょう。種の成長には時間が掛かり、人が寝て起きてしているうちにだんだんと大きくなるのも、とても感動的なことと思いました。

イエスは種をまく人の話をしながら、天の御父の御心がどのようであったかを深く味わいつつ語っておられたように思います。「種は、よい土地に落ち、実を結んで、あるものは100倍、あるものは60倍、あるものは30倍にもなった。」種が実を結ぶことの喜び・感動を、私たちに伝えて下さるイエス。私たちの心に、今日も明日も、絶えず、恵みのみわざを通してよき便りの種をまいて下さっている天の御父の思いとその種が育って実る時の喜びがいかほどであるかを伝えようとしてくださっているイエス。種が育つように育つようにと、一生懸命、あちらにもこちらにもまき続けてくださる御父の御心の大きさと恵み深さに気づくようにと、呼びかけて下さるイエス。

日常の様々なことから一歩離れて、イエスと共に過ごし、湖の波の音を聞きながら風に吹かれながら、私たちの心にまかれた種の成長に目を向けてみましょう。でも、ちょっと待って。種まきの土に水を入れるのを忘れないで・・・聖霊の息吹を私たちの心に注いで頂き、心が柔らかくなって、種が育ちますように。

(日曜日のみことば 2020-07-12)

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