7月12日 年間第15火曜日

第一朗読  イザヤ書 7:1-9
ユダの王ウジヤの孫であり、ヨタムの子であるアハズの治世のことである。アラムの王レツィンとレマルヤの子、イスラエルの王ペカが、エルサレムを攻めるため上って来たが、攻撃を仕掛けることはできなかった。しかし、アラムがエフライムと同盟したという知らせは、ダビデの家に伝えられ、王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺した。
主はイザヤに言われた。「あなたは息子のシェアル・ヤシュブと共に出て行って、布さらしの野に至る大通りに沿う、上貯水池からの水路の外れでアハズに会い、彼に言いなさい。落ち着いて、静かにしていなさい。恐れることはない。アラムを率いるレツィンとレマルヤの子が激しても、この二つの燃え残ってくすぶる切り株のゆえに心を弱くしてはならない。アラムがエフライムとレマルヤの子を語らって、あなたに対して災いを謀り、『ユダに攻め上って脅かし、我々に従わせ、タベアルの子をそこに王として即位させよう』と言っているが、主なる神はこう言われる。
それは実現せず、成就しない。アラムの頭はダマスコ、ダマスコの頭はレツィン。(六十五年たてばエフライムの民は消滅する)
エフライムの頭はサマリア サマリアの頭はレマルヤの子。信じなければ、あなたがたは確かにされない。」

福音朗読  マタイによる福音書 11:20-24
(そのとき、)それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドンで行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で済む。また、カファルナウム、お前は、天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。
お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前よりまだ軽い罰で済むのである。」

祈りのヒント
「不幸だ」という投げつけるようなイエスの強い言葉の裏に、わたしたちを心から愛して救おうとするイエスのみ心が感じられる。イエスの愛から目を逸らし、自分の手中にないものを得ようと他のものを追い求めるわたしの愚かさも、イエスを悲しませていたことに気づく。
今、生きている丸ごとのわたしを受け入れて赦し、宝もののように大切にしてくれる、この愛こそが、奇跡そのものではないか!この愛に救われて、今、ここに在るわたしたち。
イエスを土台に据えなおし、イエスの心の目で、人生を見つめ直してみたい。
(毎日のみことば 2022-07-12)

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