7月21日 年間第16主日

第一朗読  エレミヤ書 23:1-6
「災いだ、わたしの牧場の羊の群れを滅ぼし散らす牧者たちは」と主は言われる。それゆえ、イスラエルの神、主はわたしの民を牧する牧者たちについて、こう言われる。
「あなたたちは、わたしの羊の群れを散らし、追い払うばかりで、顧みることをしなかった。わたしはあなたたちの悪い行いを罰する」と主は言われる。
「このわたしが、群れの残った羊を、追いやったあらゆる国々から集め、もとの牧場に帰らせる。群れは子を産み、数を増やす。彼らを牧する牧者をわたしは立てる。群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない」と主は言われる。
見よ、このような日が来る、と主は言われる。わたしはダビデのために正しい若枝を起こす。
王は治め、栄えこの国に正義と恵みの業を行う。
彼の代にユダは救われ イスラエルは安らかに住む。彼の名は、「主は我らの救い」と呼ばれる。

第二朗読  エフェソの信徒への手紙 2:13-18
(皆さん、)あなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。
実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。

福音朗読  マルコによる福音書 6:30-34
(そのとき、)使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。

祈りのヒント
イエス・キリストは、派遣先から帰ってきた使徒たちの報告を聞いたあとで、彼らを先に休ませようとします。そして、イエス・キリストは「飼い主のいない羊のような有様」の群衆のことを気にかけます。つまり、イエス・キリストは使徒たちや人々のことをすべて理解しており、大切にしています。

しかし、ふつうは、「自分の協力者」と「群衆」との両方を気にかけることは、なかなか難しいものです。なぜならば、イエス・キリストと同じように、あらゆる人の状況を瞬時に察して、まんべんなく支えるだけの度量の広さを人間は持ち合わせてはいないからです。

しかも、エフェソ書の内容を読めばわかるように、イエス・キリストは私たちと敵対者とのあいだの仲たがいをも調停して解決する「平和の主人」です。そして、イエス・キリストはエレミヤ書が預言していたような「救い主」として、あらゆる人を支えるまことの牧者でもあります。平和をもたらす救い主として働くイエス・キリストは使徒や私たちを仲間として大切に指導してくださいます。

わけへだてなく、あらゆる人を世話する寛大なイエス・キリストのすがたが聖書全体から伝わります。これこそが、平和をもたらすイエス・キリストの姿勢に他なりません。こうして、相手を深く憐れむイエス・キリストの本気の愛情の示しかたを理解したうえで真似することがキリスト者ひとりひとりの目標になります。相手を深く憐れむということは、相手の身になっていっしょに物事を感じ取って生きる関わりかたです。相手のことを自分のこととして生きる真剣さがあるときに、私たちもイエス・キリストと同じ姿勢で相手を活かすことになります。

イエス・キリストとは、果たしてどのようなおかたなのかを理解するために本日の三つの朗読箇所は非常に役立ちます。そして、私たちも同じ道を進むようにイエス・キリストから招かれていることをも再確認したいものです。

(日曜日のみことば 2024-07-21)

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