8月30日 年間第22主日

第一朗読  エレミヤ書 20:7-9
主よ、あなたがわたしを惑わし わたしは惑わされてあなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。わたしは一日中、笑い者にされ人が皆、わたしを嘲ります。わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり「不法だ、暴力だ」と叫ばずにはいられません。主の言葉のゆえに、わたしは一日中恥とそしりを受けねばなりません。主の名を口にすまい もうその名によって語るまい、と思っても主の言葉は、わたしの心の中骨の中に閉じ込められて火のように燃え上がります。押さえつけておこうとしてわたしは疲れ果てました。わたしの負けです。

第二朗読  ローマの信徒への手紙 12:1-2
兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。

福音朗読  マタイによる福音書 16:21-27
(そのとき、)イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。」

祈りのヒント
イエスは生前、ご自分の受難を予測していたのでしょうか? この問いに対して、色々な学者が色々な答え方をしています。ある人は、聖書に書いてあるとおり、ご自分の死を予測していたのだと言い、他の人は、聖書が記されたのはイエスの死後だから、死刑に処された事実を知っていた福音記者が物語の中でイエスが予測していたように語らせたのだと言います。今から4、50年前の聖書学ではこのような論争を激しく行っていましたが、そういえば、最近はあまり聞きません。
ただ、このような議論があってもなくても、わたしたちは、大人の信仰者として、どれだけ真剣に『聖書』に向き合うか、今日も問われています。ここではいったい何が問われているのでしょうか。事の次第は意外とシンプルです。
イエスは組織の中枢に君臨する人たちから排斥される。排斥されるだけでなく、苦しみ、挙げ句の果てに殺される。組織の枠組みでしか物事を考えられないペトロは、それを否定する。「とんでもない!」と。それを聞いたイエスは、「神のことを思わず、人間のことを思っている」と言い、ペトロや弟子たちを戒める。
そして、イエスは、自分に従いたい者は自分と同じように行動すべきだと言います。自分を捨て、自分の十字架を背負う、このような人生を送るべきだというのです。
問題は、何のために? なぜ、自分を捨て、自分の十字架を背負わねばならないのか? まさしくそれは「復活」のためです。イエスがご自分の人生を予測したか、しなかったかにかかわらず、自分を捨て、自分の十字架を背負う痛みと苦しみの人生が、ただ、復活という一点の目的に絞られていたことに変わりありません。復活のために、人は神との完全なる関係にあって、天命を背負い、死んでいくのです。復活は、ひとりの人の命の重みであり、輝きです。イエスは先人として天に通じる一本道を開き、わたしたちに示してくださいました。どんなに魅力的な組織と比べても、ひとりの人の命はかけがえのないものです。どんなに立派な塔のような建物に比べても、ひとりの人の命は美しいのです。イエスも、全世界を手に入れても、「自分の命」を失ったら意味がないと言っています。
「自分の命」は関係性の中に潜んでいます。
自分の命を救いたいと思えばそれは得られない。これは、殻に閉じこもった状態です。しかし、他者のため、イエスとの関係性において命を失う、つまり、自分の命を与え、用いるのであれば、逆に命を得るのだというのです。
祈ります……
イエスの過ぎ越した死と復活が人間の行くべき真の道であることを深く悟り、
わたし自身も自分の十字架を背負う者となりますように。
そして、神さまの大きな愛を、イエスとともに実現する者になりますように。
(日曜日のみことば 2020-08-30)

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