8月23日 年間第21主日

第一朗読  イザヤ書 22:19-23
(主は、宮廷を支配しているシェブナに言われる。)わたしは、お前をその地位から追う。お前はその職務から退けられる。
その日には、わたしは、わが僕、ヒルキヤの子エルヤキムを呼び、彼にお前の衣を着せ、お前の飾り帯を締めさせ、お前に与えられていた支配権を彼の手に渡す。彼はエルサレムの住民とユダの家の父となる。わたしは彼の肩に、ダビデの家の鍵を置く。彼が開けば、閉じる者はなく、彼が閉じれば、開く者はないであろう。わたしは、彼を確かなところに打ち込み、かなめとする。彼は、父の家にとって栄光の座に着く。

第二朗読  ローマの信徒への手紙 11:33-36
ああ、神の富と知恵と知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう。
「いったいだれが 主の心を知っていたであろうか。だれが主の相談相手であっただろうか。だれがまず主に与えて、その報いを受けるであろうか。」すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっているのです。栄光が神に永遠にありますように、アーメン。

福音朗読  マタイによる福音書 16:13-20
イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。

祈りのヒント
「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。」(マタイ16:21)
今日の福音書の並行記事はルカやマルコにも見られる。いずれの福音書でもこの箇所はパンのしるしの後に置かれている。イエスは自分の福音宣教の危機を感じ取り、弟子たちの養成に力を注ぐ時期が来たと悟る。このときからイエスは自分と弟子たちが進むべき道を見つめなおし、これまでと異なる道を歩み始めた。群衆から離れ、弟子たちだけを伴い、ガリラヤ地方の北、ヨルダン川の源流に位置するフィリポ・カイサリア地方へ退かれる。そこで、イエスご自身が群衆や弟子たちにとって「自分はだれであるか」を確かめる。弟子たちの答えによれば、人々はイエスに対して、旧約の時代から待ち望まれていた終末に来られる預言者というイメージを持っていた。
転換期は多くの場合、思いがけなく人生に“起こってくる”ものであり、選択を求められる時である。イエスがここまで選んできた福音宣教とは、父なる神の御心に従い、その“ドリーム”を実現させ、人々のためにアガペの愛とシャロームの平和への道を開くことであった。イエスは一途にこの道を選び続けるが、その道には苦しみが伴い、自分を捨て、十字架を担うべき道になると、今の私たちにも打ち明ける。イエスは、「あなたもこの私の道に従いたいと思うか」と弟子の私たちに問いかける。ペテロはイエスに対して自分の信仰告白を述べる。「あなたはメシア、生ける神の子です。」このことばはマタイの初代教会の信仰告白であろう。こうして、ペテロの口を通すことで、ペテロがこの初代教会の信仰告白の“創始者”であると伝えたかったのであろう。シモンはイエスから新しい名を与えられる。ペトロス(石)・ペトラ(岩)に通じる名を。この名はイエスの“メシア的な共同体”の中での彼の新しい役割を示す。その役割とは教会共同体の土台や礎となることである。
信仰の転換期は試練の時であり、成長するチャンスでもあり、それは真の命につながっていく回心と養成へのイエスの招きである。今日、その識別ができるように黙想し、祈り求めたい。
(日曜日のみことば 2020-08-23)

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