9月1日 年間第22火曜日

第一朗読  コリントの信徒への手紙 一 2:10b-16
(皆さん、)“霊”は一切のことを、神の深みさえも究めます。人の内にある霊以外に、いったいだれが、人のことを知るでしょうか。同じように、神の霊以外に神のことを知る者はいません。わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。そして、わたしたちがこれについて語るのも、人の知恵に教えられた言葉によるのではなく、“霊”に教えられた言葉によっています。つまり、霊的なものによって霊的なことを説明するのです。自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです。霊の人は一切を判断しますが、その人自身はだれからも判断されたりしません。
「だれが主の思いを知り、主を教えるというのか。」
しかし、わたしたちはキリストの思いを抱いています。

福音朗読  ルカによる福音書 4:31-37
(そのとき、)イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威があったからである。ところが会堂に、汚れた悪霊に取りつかれた男がいて、大声で叫んだ。「ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行った。人々は皆驚いて、互いに言った。「この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。」こうして、イエスのうわさは、辺り一帯に広まった。

祈りのヒント
祈りから離れないように生活し、善き方へ善き方へと慎重に進んでいるつもりでも、心の中には悪い方へと向かわせる動きも確実にある。ふとした隙に、虚しさで覆い尽くすところまで一気に持って行かれるほどの力を秘め、時機を狙っているように感じられる。こんな危うさも持っている私だから、主の支えがなんとしても必要なのだ。
(毎日のみことば 2020-09-01)

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