9月11日 年間第23土曜日

第一朗読  一テモテ 1・15-17
(愛する者よ、)「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。しかし、わたしが憐れみを受けたのは、キリスト・イエスがまずそのわたしに限りない忍耐をお示しになり、わたしがこの方を信じて永遠の命を得ようとしている人々の手本となるためでした。
永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

福音朗読  ルカによる福音書 6:43-49
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「悪い実を結ぶ良い木はなく、また、良い実を結ぶ悪い木はない。木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる。茨からいちじくは採れないし、野ばらからぶどうは集められない。善い人は良いものを入れた心の倉から良いものを出し、悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。人の口は、心からあふれ出ることを語るのである。」
「わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。」

祈りのヒント
私たちは聖書を通してイエスの教えの内容を理解します。しかし、内容を理解しただけでは、真の意味でイエスを信じることにはなりません。その延長線上に「実践」が伴ってこそ、真の意味でイエスを信じることになります。私たちはイエスを通して示される神のみ心を「実践」することで、真に信仰を生きることができます。私たちはイエスの教えの「実践」によって、自分自身の内に揺るぎない強固な信仰の土台を築き上げることができるのです。
(毎日のみことば 2021-09-11)

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