9月13日 聖ヨハネ・クリゾストモ司教教会博士

第一朗読  テモテへの手紙 一 1:1-2、12-14
わたしたちの救い主である神とわたしたちの希望であるキリスト・イエスによって任命され、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、信仰によるまことの子テモテへ。父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。
わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださったからです。以前、わたしは神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした。しかし、信じていないとき知らずに行ったことなので、憐れみを受けました。そして、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほど与えられました。

福音朗読  ルカによる福音書 6:39-42
(そのとき、イエスは弟子たちに)たとえを話された。「盲人が盲人の道案内をすることができようか。二人とも穴に落ち込みはしないか。弟子は師にまさるものではない。しかし、だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」

祈りのヒント
今日もイエスからわたしたちへの実践メッセージが続きます。自分の目から丸太を取り除くことができたら、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる、と。いえいえ、わたしは取り除くことはできません。自分の丸太があまりにも大きすぎるということと、わたしはこの丸太を取り除く努力をしていないからです。わたしは丸太に執着しています、ですから、他の人のおが屑を取り除くことができる時が来るとは思えません。・・・・
少し自分自身を脇に置いてみましょう。そしてもう一度今日の福音箇所を読んでみましょう。希望がある言葉を見つけることができます。
「だれでも、十分に修行を積めば、その師のようになれる。」
十分に修行を積むために、まず自分の丸太に気づきましょう。何が丸太でしょうか。それはどのようにわたしを不自由にしているでしょうか。自分をそこから解放するためにはどうしたらよいでしょうか。
ひたすら、み言葉にすがることです。み言葉が自分のものになるよう、力をいただくことです。それは祈りにつながります。
そうすれば、自分の丸太を取り除く一歩へとつながることでしょう。すべてはそこからです。
(毎日のみことば 2019-09-13)

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