9月22日 年間第25木曜日

第一朗読  コヘレトの言葉 1:2-11
コヘレトは言う。なんという空しさ なんという空しさ、すべては空しい。
太陽の下、人は労苦するが すべての労苦も何になろう。
一代過ぎればまた一代が起こり 永遠に耐えるのは大地。
日は昇り、日は沈み あえぎ戻り、また昇る。
風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き 風はただ巡りつつ、吹き続ける。
川はみな海に注ぐが海は満ちることなく どの川も、繰り返しその道程を流れる。
何もかも、もの憂い。語り尽くすこともできず 目は見飽きることなく 耳は聞いても満たされない。
かつてあったことは、これからもあり かつて起こったことは、これからも起こる。
太陽の下、新しいものは何ひとつない。見よ、これこそ新しい、と言ってみても
それもまた、永遠の昔からあり この時代の前にもあった。
昔のことに心を留めるものはない。これから先にあることも その後の世にはだれも心に留めはしまい。

福音朗読  ルカによる福音書 9:7-9
(そのとき、)領主ヘロデは、これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。というのは、イエスについて、「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」と言う人もいれば、「エリヤが現れたのだ」と言う人もいて、更に、「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」と言う人もいたからである。しかし、ヘロデは言った。「ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。」そして、イエスに会ってみたいと思った。

祈りのヒント
イエスのなされた出来事をすべて聞いて戸惑うヘロデは、「いったい、何者だろう」と言った。
聖書を読み、ヘロデのようにイエスのなされた出来事を知る私にとって、イエスは、何者なのだろう。改めて、祈り、深めたい。
(毎日のみことば 2022-09-22)

ページ上部へ戻る